東洋医学の家 養気院
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正しい東洋医学と鍼灸医学の情報をお届けします。

伝統医学の重みを一緒に感じてみませんか。興味のあるところから読んでください。


東洋医学の歴史

東洋最古の医学書 −代表的な古典−

 中国では前漢つまり紀元前2〜1世紀頃に、人体の生理・病理を論じた『黄帝内経(こうていだいけい)』という医書が完成しました。現在でも最重要な古典の1つとして扱われています。この古典を抜きにして東洋医学は語れません。ちなみに、鍼療法が確立されたのはこの医書の時代です。

 後漢つまり1、2世紀の頃には薬物に関する重要な古典である『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』が完成しました。365品の薬物を上薬・中薬・下薬という独特の分類をしています。現在でも使われている主要な薬物の多くが、既にこの書物の中に記されています。

 3世紀の初め頃には薬物治療の古典である『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』という書物が張仲景(ちょうちゅうけい)によって著されました。現在、『傷寒論』と『金匱要略』という2つの本に分かれています。現在でも東洋医学を学ぶ医家に読まれており、実用書としての命は失われていません。大変優れた書物と言えるでしょう。

 黄帝内経素問   神農本草経   傷寒論           

中国医学の成立 -鍼灸の誕生−

 1973年、湖南省長沙市の馬王堆(まおうたい)三号漢墓(紀元前186年埋葬)から多数の医書が出土しました。今日までに整理・公表された医書は15種類です。その後1983/84年に馬王堆漢墓とほぼ同時代の張家山漢墓二基から、千枚以上の竹簡が出土し、その中に『脈書』・『引書』と題する二部の医書がありました。『引書』の「引」とは導引のことで、運動療法のことをいいます。

 馬王堆出土の医書には『黄帝内経』の記載の祖型と考えられる記載があり、内容的に『黄帝内経』よりも古い古典だと言えます。馬王堆出土の医書に書かれているのは灸の療法でした。鍼療法が確立されたのは『黄帝内経』の時代ですから、この医書の時代はまだ鍼療法が発明されていなかったか、普及されていなかったようです。また、馬王堆の医書が出土されたことによって、戦国時代後期(紀元前3世紀)の中頃には中国医学の原型が生まれていたことが立証されました。

 一方、
鍼療法は「へん石」という石のナイフで血を出したり、皮膚を切り開いたりする外科的な療法から発展しました(一般的な説によると)。後に灸療法の技術と理論と重なって、血を出さずに治療する方法へと発展していきました。「血を出さなくても治る」という発見があったのです。灸療法で培った理論にへん石から発展した鍼という道具が加わることによって、中国医学は急速に発展します。その技術を集結した書物が『黄帝内経』というわけです。


陰陽五行学説

 陰陽五行学説は、古代中国人が生活の中で自然現象を長期にわたって観察し、そこにから導き出したものです。まず、陰陽学説が成立し、その後五行学説が成立しました。現在では2つの学説をまとめて「陰陽五行学説」と称するようになっています。
これらの学説を基に東洋医学は発展してきました。陰陽五行説は東洋医学の生みの親なのです。

陰陽学説

 自然界のすべてのものを「陰」と「陽」の2つに分ける考え方です。
「陽」は、物事の動的側面を表し、火に代表されるような熱や活動の象徴です。「陰」は、物事の静的側面を表し、水に代表されるような寒さや静けさの象徴です。自然界を陰陽に分けてみると、次のようになります。

秋冬 湿潤
太陽 春夏 乾燥

寒涼 内向き 下向き
暑熱 外向き 上向き

 陰陽は人間にも当てはめることができます。

肉体 下半身 体内
精神 上半身 背中 体表

栄養 鎮静 滋養 休息 体幹
元気 興奮 消費 活動 手足

 これらは陰陽の一例に過ぎません。難しく考えることはなく、反対の性質をもつものなら、それは陰陽の関係と言ってよいのです。「陰」と「陽」は一方の勢いだけが強くならないように、相手を押さえつける関係にあります。たとえば、水が火を消し、火が水を蒸発させるような関係です。 そして、陰陽にはもう一つ大切な考えがあります。それは「陰」と「陽」が互いに依存し合っているということです。昼がなければ夜がなく、夜がなければ昼はないということです。「陰」は「陽」が存在があるゆえに「陰」となり得るのです。その反対も言えます。
 また、忘れてはならないのは、陰陽はダイナミックに動いているということです。季節が変わるように、陰陽も大きく変化します。寒い冬が終わると暖かい春が訪れます。陰はやがて陽になり、陽はやがて陰となるのです。
つまり、
陰陽は反対の性質のものがダイナミックに活動しながら、互いに制約し依存し合っている姿なのです。

五行学説

 自然界の物質を5つの要素(木火土金水)に分けそれらの関係を考える方法です。
(もく)」は、草や樹木のことで、茎や枝葉がどんどん伸びていく様子から、柔軟に広がる、伸びやかさの象徴です。
(か)」は、炎や熱のことで、暑さの象徴で、勢いが強くて上昇しやすい性質を表します。
(ど)」は、土のもつ、豊かさや濃厚さ、どこかドロドロとした感じを表します。また、そこから色々なものが生まれたり、つくられたりすることの象徴です。
(こん)」は、金属や鉱物の持つ、鋭くて、乾燥していて、透明感のある性質を表します。さらさらとしていて、清らかさの象徴です。
(すい)」は、重くて下方に流れ、地面を固めるために潤いを与える、どっしりとした性質を表します。冷たさや寒さの象徴です。

 この5つの性質は、絶妙な関係で、お互いのバランスを保っています。5つの要素に働く力として「相生(そうせい)」と「相剋(そうこく)」があります。
相生」は相手を生み育てる関係で、木→火→土→金→水→木の順に関係しています。
たとえば、木が燃えて火がおき、火から灰ができて土を肥やし、さらに土から鉱物ができ、鉱物から鉱水ができて、その水は木を育てるといった具合です。
 一方、
相剋」は相手を抑制する関係で、木→土→水→火→金→木の順に関係しています。
木は土の養分を吸収し、土は土手として水の氾濫を抑え、水は火を消し、火は金属を溶かしてもろくし、金属は木を切り倒すといった具合です。
力の弱ったものは「相生」の関係で励まし、強まり過ぎたものは「相剋」の関係でなだめて、バランスをとっています。


 東洋医学では、この五行の考えをカラダの働きに持ち込んでいます。木=肝、火=心、土=脾、金=肺、水=腎といった具合です。ただし、ここでいう肝心脾肺腎とは西洋医学でいう臓器のことではありません。もっと広い概念で、臓器の機能的システムを総括して称したものです。
人体に五行学説を持ち込むことによって、
複雑なカラダを単純なシステムとして扱うことができるのです。全ての事柄が五行で説明できたらそれが一番です。しかし、実際はそうもいきません。東洋医学家は臨機応変に五行学説を運用して治療するのです。


東洋の身体観と病理観

人間は自然の一部

 東洋医学では、人間は自然の一部であることを強調しています。「陰陽五行説」は自然現象の法則を説いていますが、人間もまたこの学説で説明することができるのです。
 人間のカラダも自然の一部ですから、冬になれば冷え、夏になれば熱を持ちます。ただし、生命である人間はカラダを微妙に変化させて、それぞれの季節に対応しています。寒ければ寒いなりに、暑ければ暑いなりにカラダは順応して個々の生命が営まれているのです。人間の中には自然と調和するシステムが組み込まれているわけです。
人間は一定でないからこそ、刻々と変化する自然環境の中で生きることができるのです。東洋医学は人間のカラダに一定値を求めず、自然環境と調和できているかという観点でカラダを診ていくのです。

東洋医学はバランス医学

 西洋医学の場合、内臓の機能がある一定の範囲から外れると病気と見なします。範囲内であれば症状が出ていても異常がないと考えます。しかし、東洋医学の場合、決まった範囲を求めません。カラダ全体の機能がバランスよく保たれているかを重視します。
 たとえば、下半身が冷えてその分の熱が上半身に上ってくるということは頻繁に見られます。前述した「陰陽学説」を用いて説明するならば、上半身が陽に傾き、下半身が陰に傾いているということなのです。ですから熱症状が出た場合でも、熱だけ診るのではなく、その裏側(背景)に冷えがないかを必ず確認していきます。
 もう一つ例を挙げてみます。仕事や人間関係などのストレスで下痢をしたり、胃が痛んだ経験はないでしょうか。「五行学説」を用いるとこの現象が説明できます。ストレスは「肝」(木)に強い影響を与えます。肝がストレスを丸め込もうと興奮します。機能を高められた「肝」(木)は消化器系である「脾」(土)を余計に剋することになるのです。このパターンで消化器系に症状が出た場合、東洋医学では「肝」に対してアプローチします。「肝」の機能を抑えることで消化器の症状が緩和されます。


東洋医学の治療観

未病を治す

 東洋医学には「未病を治す」という考え方があります。未病とは病気になる前の状態を指します。症状が現れる前もカラダはよく観察するといろいろなメッセージを出していることがわかります。このメッセージを素直に受け取り、病気になる前に病気の原因を解決しようとすうことが「未病を治す」ということなのです。
 たとえば、何となく調子が悪いという漠然とした状態もカラダのメッセージなのです。東洋医学はそういった漠然とした症状も大切に扱います。また、症状が何にもなくても、お腹を触ってみると冷えや緊張があることがあります。丁寧に問診や体表観察(触診)を行えば、至る所にメッセージが隠されていることがわかります。

 バランスが乱れると、カラダの弱いところから悲鳴をあげていきます。これが病気です。体質は人それぞれですから、似た環境におかれても人によって症状の出るところは違います。症状にだけ注目してしまうと、その根本を見逃してしまいます。東洋医学は、根本であるバランスの乱れを整えることによって未病を治すのです。症状はあくまで枝葉と考えます。

異病同治&同病異治

 「異病同治(いびょうどうち)」とは異なる病を同じ治療法で治すことで、「同病異治(どうびょういち)」とは同じ病気を異なる治療法で治すことです。不思議なことのように思われるでしょうが、症状は枝葉と考える東洋医学にとってはごく自然なことなのです。
 同じ症状を呈していても、原因が同じであるとは限りません。また、違う症状を呈していても原因が同じであることもあるのです。原因に着目すると、奇妙に思われる「異病同治」「同病異治」が不思議ではありません。

 話は少し逸れますが、東洋医学では病気の本質を治療することを「本治(ほんち)」、病気の枝葉(症状)を治療することを「標治(ひょうち)」といいます。根と枝を区別しているのです。症状が激しいときは苦痛を除くために標を治し(標治)、症状が軽いときには本を治す(本治)のが基本とされています。

 根本治療(本治)しようとするとき、原因が同じであれば当然ツボは一緒(刺激量は個人に合わせます)ですが、原因が異なるときには全く違うツボを使います。本治のレベルで考えると、「○○病に効くツボ」というものは存在しません。私たちは状況によってツボを使い分けます。


東洋医学の診察法

五感で診察

 東洋医学の世界では、医者の五感を駆使して診察します。五感というと、客観性に欠ける、科学的ではないと思われる方もたくさんいるでしょう。でも、そんなことはないのです。熟練した術者の手はすぐれたセンサーと言えます。機械で診れない現象もとらえることができるのです。

 もちろん、機械による検査もとてもに重要です。東洋医学の立場とはいえ、否定できるものではありません。
機械による検査は数値化しやすいため、客観性にすぐれています。しかし、機械による検査がそのまま客観的事実になるかと言えばそうではありません。レントゲン写真のように数値化の難しい検査は、やはり医者の観る力が問われる検査です。西洋医学(近代医学)でもすぐれた医者は五感がすぐれ、患者にもっともよい治療法を導きます。

※機械が発達した時代とはいえ、人間の観察力なしでは診断はできないのです。

 機械による検査も大切ですが、
手でしか診られない現象があるのも事実です。わかりやすい例は「コリ」でしょう。コリはレントゲンでもMRIでも確認することができません。死体を解剖してもコリはわかりません。ですが、誰でも自分の肩を揉んでみればコリは見つけられます。なぜ、コリが検査で確認できないのでしょう…。なぜなら、コリは生きている生体がもたらす現象だからです。コリはモノではありません。体の現象です。痛みや不快感も検査では数値化できませんが、脳が信号として処理している現象です。もうおわかりかと思います。体内で起こる現象の多くは機械で観ることができないのです。その一部分を観られるだけのことです。つまり人体ってまだまだ謎だらけなんです。

 手でコリがわかるように、手で色々なことがわかります。微妙な発汗や体温の違い、皮膚の弾力や光沢の違い、顏色の変化や呼吸のタイミング、例を挙げればきりがありません。


 機械による検査が発達した現代において、機械の検査を否定することはナンセンスです。現代の東洋医療者は、機械による検査は一つの身体情報として処理できる能力が重要です。もちろん、すぐれた五感とすぐれた観察力が必要なのは言うまでもありません。

四診

 準備中


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