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鍼灸師のツボ日記|クリ助のブログ
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要旨 田舎の鍼灸師クリ助の臨床奮闘記 群馬と東京で鍼灸院を営む鍼灸師。ツボをこよなく愛し、鍼灸の魅力を語り始めると止まらない。
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「わかる人にはわかる」は、伝統なのか
公開:
要旨: 東洋医学の世界では、古典に書かれていることを疑ったり、昔から伝わる考え方を別の角度から考えたりすると、「伝統を壊している」と見られることがあります。私はこれが理解できません。 たとえば、長い修練によって身につけた感覚があるとします。本人にははっきりわか...
わかる人にはわかるは伝統なのか

東洋医学の世界では、古典に書かれていることを疑ったり、昔から伝わる考え方を別の角度から考えたりすると、「伝統を壊している」と見られることがあります。私はこれが理解できません。

たとえば、長い修練によって身につけた感覚があるとします。本人にははっきりわかるけれど、他の人には簡単にはわからない。言葉で説明することも難しい。それでも昔から受け継がれてきたものだから大切にする。

こうした態度は「伝統を守る」と見られやすいように思います。

いっぽうで、その感覚をできるだけ言葉にし、何を感じているのかを整理し、他の人でも同じものを見つけられるようにする。さらに、同じようにやれば同じ結果が出るのかを確かめる。

その過程で、昔から使われてきた言葉をあえて使わないことがあります。実例として挙げるなら「気」です。実は、これは私のことです。「気」という言葉を使う必要性を感じません。というより「気」という言葉を用いた瞬間から共有がむずかしい状況に陥るのです。

「気ってなんですか?」

この回答は無限にあります。意味を一つに絞ることができません。絞った時点で、それは私の解釈、あるいは私が選んだ解釈になります。そもそも「気」という言葉は、あまりにも多くの意味を背負ってしまい、何を指しているのか見えにくくなっています。だからこそ、さまざまな解釈を呼び込んでしまいます。

「東洋医学は気の医学」

という表現を目にしますが、「気」という言葉の曖昧さをそのまま引き受けて読むと「東洋医学は意味がよく見えない医学」となってしまいます。これは皮肉でも何でもありません。東洋医学を否定したいわけでもありません。むしろ逆です。低解像度のままにしたら東洋医学の魅力が減衰してしまうことを危惧しているのです。

誤解しないでください。「気という言葉を使うな」と言いたいのではありません。「気」という言葉を使う人が「伝統を受け継ぐ者」である、という前提がおかしいと言いたいのです。意味がわからないのにどうやって継承するのか、と思うのです。


「わかる人にはわかる」という世界


鍼灸を学んでいると、経験を積むことで見えなかったものが見えるようになる、という話によく出会います。

脈がわかるようになる。ツボがわかるようになる。さらに修練を積めば、気の流れや経絡まで感じられるようになる。初心者にはわからなくても、熟練すればわかるようになるという考え方です。

これについては、私にも思い当たるところがあります。鍼灸師になったばかりの頃と今では、指先から得られる情報量がまるで違います。昔は同じようにしか感じられなかった場所にも、今では違いを感じます。

修練によって感覚が鋭くなることに異論はありません。

ただ、ここで疑問があります。

熟練した人にしかわからないものを、どうやって次の世代に渡すのでしょうか。


感覚は継承できるのか


ある鍼灸師が患者の身体に触れて、「ここに気の滞りを感じる」と言ったとします。本当にそういう感覚があるのかもしれません。私に感じられないからといって、存在しないとは言えません。

では、別の鍼灸師が同じ患者を診たら、同じところに同じものを感じるのでしょうか。違った場合はどうでしょう。そこで「まだ修練が足りない」と言われてしまえば、もう何も言えません。

私は、自分にしかわからない感覚をできるだけ減らすようにしています。感覚を軽視しているからではありません。むしろ感覚は重要です。ツボを探すにも感覚が必要ですし、身体のわずかな違いを感じとれるに越したことはありません。

だからこそ、その感覚を人に渡せるようにしたいと思っています。

練習すれば、多くの人が同じものを見つけられる技術にしていきたいのです。

「名人にしかわからない」という状態を簡単に受け入れるべきではないと思っています。その名人が亡くなれば、その技術も一緒になくなってしまう可能性があるからです。継承を考えるなら、「名人にはわかる」で話を終わらせてはいけません。


わかったような気になる


身体に触れて、ある場所に何か違いを感じたとします。硬い、柔らかい、熱い、冷たい。あるいは、うまく言葉にできないけれど、何か違う。

ここまでは観察です。

では、それを「気が滞っている」と判断したらどうでしょう。そこには解釈が入ります。さらに陰陽、虚実、五行、経絡などと結びつければ、一つの説明ができるようになります。

私は、ここを分けて考えたいのです。

何かを感じたことと、その正体がわかったことは同じではありません。

東洋医学には、陰陽、五行、気血、臓腑、経絡など、身体を説明する大きな体系があります。それぞれが関係しているので、ある現象を説明すると、それが別の現象ともつながります。さらに古典にも似た記述が見つかれば、説明はますます確かなものに見えてきます。

説明がつながると、わかったような気になります。


私も同じことをしている


このように書くと、伝統的な東洋医学を問題にしているように見えるかもしれません。でも、この問題は私にも当てはまります。

私は臨床の中で、あるツボに鍼をすると、離れたところの動きが変わるという現象を何度も経験してきました。そこから、ツボと身体の動きには何らかの関係があるのではないかと考えるようになりました。

さらに、そうした関係を調べていく中で、身体に生じる張力が関係しているのではないかという仮説も立てて臨床に活かしています。ただ、それは私がそう考えているだけかもしれません。
だから、確かめるのです。


同じことがもう一度起きるのか


まず自分で繰り返します。同じような条件で、同じことが起こるのかを確認します。

たとえば、ある腰痛に一つのツボを使ったら、痛みが軽くなったとします。別の腰痛にも同じツボを使ってみる。ところが今度は変化しない。

「このツボは効く人と効かない人がいる」

そう考えることもできます。

しかし、

「最初の腰痛と次の腰痛では、何が違ったのだろう」

と考えることもできます。

同じところが痛くても、一人は前に曲げると痛く、もう一人は捻ると痛いかもしれません。同じ前屈でも、曲げ始めに痛む人と、最後まで曲げたところで痛む人がいます。同じ「腰痛」に見えても、別の問題なのかもしれません。


分類は共有するためにある


「腰痛」という分類では粗すぎるのであれば、もう少し細かくします。

どこが痛いのか。どの動きで痛むのか。どこまで動かすと痛むのか。何ができないのか。

条件を細かくすると、それまで同じに見えていた患者の違いが見えてきます。そして条件がそろうほど、同じツボで同じ変化が起こる可能性も高くなります。

すると、

「腰痛にはこのツボ」

ではなく、

「こういう動きができない場合には、このツボを試してみてください」

と伝えられるようになって、他の鍼灸師が試せるようになります。

分類するのは身体を理論の中にきれいに収めるためのものではありません。他の鍼灸師と条件を共有するためです。


自分だけ再現できても足りない


自分で何度も再現できるようになったら、他の鍼灸師にやってもらいます。同じような条件の患者に、同じツボを使って同じ変化が起こるのかを確認します。

他の鍼灸師でも再現でき、さらに別の鍼灸師でも再現できれば、自分だけの感覚ではないと言えるようになります。

逆に再現できなかったら、なぜだろうと検証します。

 取穴が違ったのか。
 技術が違ったのか。
 患者の条件が違ったのか。
 分類が粗かったのか。

再現しないことは失敗ではありません。再現できなかったことが、次に考えるべきことを教えてくれることがあります。


変化を共有する


私は、鍼をする前に動きを確認し、鍼をしたあとにもう一度同じ動きをしてもらうことを大切にしています。動きは施術前後の変化を比較しやすく、患者さんとも共有しやすいからです。

 首を動かす。
 腕を上げる。
 腰を曲げる。
 歩いてもらう。

その結果、変わったのか。変わらなかったのか。
この変化を患者さんと共有しています。

可動性で判断できない症状では、圧痛点(押して痛いところ)を指標にすることもあります。ただし、圧痛は患者さんの主観に頼る部分が大きくなります。検査結果の数値も客観的な指標ですが、鍼灸の現場ですぐに確認できないのが難点です。


医学に信仰は必要ない


古典を正しいものとして受け入れてしまうと、身体を観るときに「現象を確かめる」ではなく「古典を理解する」ことに比重が偏ってしまいます。

たとえば、このような状態です。

 わからないことがあれば、自分の理解が足りないと考える。
 矛盾するものがあれば、さらに深い意味があるのではないかと考える。

一見すると、謙虚なように見えますが、先人の考えそのものを疑うことができなくなっている状態です。すでに信仰の入口に立っています。

私は信仰と医学を切り離して考えます。東洋医学も医学であるなら、信仰を切り離して考えるべきです。古典は、当時の人が何を見て、どう考えたのかを残した記録として読めばよいのです。そこに最初から真理が書かれていると考える必要はありません。


「私にはわかる」より「私たちにもわかる」


伝統という言葉には、どうしても過去を向いている印象があります。

どこから伝わってきたのか。誰から教わったのか。古典にどう書かれているのか。

もちろん大切ですが、継承を考えるなら、もう一つの方向を見なければなりません。

 これから、どこへ伝わっていくのか。
 自分がいなくなったあとにも残るのか。
 教えた人が、さらに次の人へ教えられるのか。
 その人が自分で確かめ、必要なら修正していけるのか。

そのために分解する。分類する。言葉にする。他の鍼灸師に試してもらう。再現しなければ考え直す。その過程で、昔から使われてきた説明が変わることもあるでしょう。新しい分類が生まれることもあるでしょう。「気」という曖昧な表現を避け、できるだけ多くの人が同じ意味で共有できる言葉に置き換えていくのです。

名人だけが到達できる「わかる世界」はお話としては魅力的ですが、伝統を重んじるならそこに身を委ねてしまうわけにはいきません。継承しようとするなら、できるだけ共有できる形にしなければなりません。ここを忘れてはいけないと思っています。

東洋医学も鍼灸も「私だからわかる」は少なくてよいのです。継承は「私たちにもわかる」から始まります。

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その鍼を刺したのは誰なのか ―ドライニードルが突きつける鍼の資格問題
公開:
要旨: 鍼治療で気胸になった。 鍼が折れて体内に残った。 鍼治療のあとに感染症を発症した。 鍼灸の安全性について調べていると、このような症例報告がいくつも見つかります。もちろん、鍼灸師として無視してはいけない問題です。 鍼は身体の中に入れるものです。安全に施術す...
その鍼を刺したのは誰なのか


鍼治療で気胸になった。
鍼が折れて体内に残った。
鍼治療のあとに感染症を発症した。

鍼灸の安全性について調べていると、このような症例報告がいくつも見つかります。もちろん、鍼灸師として無視してはいけない問題です。

鍼は身体の中に入れるものです。安全に施術するためには解剖学の知識が必要ですし、感染対策も必要です。どんなに経験を積んでも、事故を起こさないための努力に終わりはありません。ところが、こうした有害事象について調べているうちに、別のことが気になり始めました。

その鍼を刺したのは誰なのか。

これが、わからないのです。


鍼による事故は報告されている


全日本鍼灸学会では、定期的に鍼灸の有害事象に関する文献レビューを行っています。たとえば2020~2023年に医学雑誌などに収録された症例報告を調査したレビューでは、国内だけで33文献が収集されています。

内訳はこのようになっています。

鍼の有害事象と文献数の概要表

ここでいう臓器損傷には、鍼治療でよく知られている気胸などが含まれます。大切なのは、鍼は絶対に安全だと言い張ることではありません。事故は起きています。私たち鍼灸師は、その事実から目をそらしてはいけません。

ただ、私はこの資料を読みながら、別の疑問を持ちました。

この事故を起こした人たちは、はり師だったのでしょうか。


「鍼による事故」と「鍼灸師による事故」は同じではない


日本では、医師以外の者が「はり」を業として行うためには、はり師免許が必要です。はり師は国家資格です。

養成施設などで3年以上学び、解剖学、生理学、病理学、臨床医学、衛生学、はり理論などを学んだうえで、国家試験に合格しなければなりません。

ところが、鍼による有害事象の症例報告を読んでいくと、施術者について、

「鍼治療を受けた」
「鍼施術後に発症した」
「鍼灸院で治療を受けた」

といった記述にとどまり、施術者がはり師免許を持っていたのか確認できないものがあります。

ここには大きな違いがあります。「鍼によって起きた事故」と「国家資格を持つ鍼灸師が起こした事故」は、同じではありません。ところが、施術者の資格が記録されなければ、後から区別することができません。

私はここに、これからの鍼灸業界にとって大きな問題があると思っています。


実際に無資格者による鍼事故は起きている


これは単なる想像ではありません。

過去には、はり師免許を持たない者による鍼施術で重大な事故が起きています。よく知られているのが、2000年代に大阪で起きた死亡事故です。施術したのは柔道整復師でした。鍼灸専門学校には在籍していましたが、まだはり師免許を取得していませんでした。

つまり、無免許で患者に鍼を刺し、気胸が起こり、患者が亡くなってしまったのです。

考えてみてください。もし事故の詳細が残らず、「鍼治療後に気胸を発症して死亡」という情報だけが残っていたらどうでしょう。後から調べた人は、鍼灸師による事故だと思うかもしれません。

しかし実際には違います。この事故を起こした施術者は、はり師ではありませんでした。だから私は、現在報告されている鍼の有害事象についても気になります。

資格が書かれていない以上、国家資格者によるものなのか、無資格者によるものなのか、わかりません。もちろん、「資格不明の事故の中には、無資格者によるものがたくさんあるはずだ」と言いたいわけではありません。

データがないのでわかりません。反対に、「すべて国家資格を持った鍼灸師による事故である」とも言えません。わからないのです。そして私は、わからないこと自体が問題なのではないかと思っています。


なぜ今、有害事象の記録が気になるのか



理由があります。

ドライニードリング(Dry Needling)です。

海外、とくに欧米では、理学療法士などがドライニードリングを行っている地域があります。筋肉などに細い鍼を刺す施術です。ツボや経絡を使わない。東洋医学ではない。だからAcupunctureではなくDry Needlingである。そう説明されることがあります。

患者の身体から見れば、細い金属製の鍼が皮膚を貫いて身体の中に入ってくることに変わりありません。そして、日本には日本の法律があります。厚生労働省は、医師以外の者が「はり」を業として行う場合には、はり師免許が必要であり、無免許で行えば処罰の対象になると明示しています。

「ツボではなく筋肉を狙っています」
「東洋医学ではありません」
「これは鍼治療ではなくドライニードリングです」

名称や理論を変えることで、日本で「はり」を行うために必要な国家資格までなくなるのでしょうか。少なくとも私は、そのような法的根拠を確認できません。


海外の事情がそのまま日本に入ってくる


海外では事情が違います。

国や地域によって資格制度が違うため、理学療法士などが一定の教育を受けたうえでドライニードリングを行えるところがあります。それ自体を批判しているわけではありません。その国の制度の中で認められているのであれば、日本の鍼灸師が口を出す話ではありません。

問題は、その情報だけが日本に輸入されることです。

「アメリカでは理学療法士がやっている」
「海外では普通の技術だ」

このように言われると、日本でもできるような気がしてきます。

しかし、海外で誰が行えるかという話と、日本で誰が行えるかという話は別です。実際、東京2020オリンピック・パラリンピックでも、この違いは問題になりました。

海外の大会では理学療法士やカイロプラクターなどがドライニードリングを行うことがあります。しかし東京大会では、日本の法制度に合わせて鍼灸師が「はり治療」を担当する体制がとられました。

つまり、この問題は未来の空想ではありません。すでに日本と海外の資格制度の違いとして現実に存在しています。

実は、この問題は何年も前から鍼灸師の間では問題視されていまして、私がX(旧ツイッター)で、次のポストをした際には大きな反響がありました。




「マッサージ」で起きたこと



ここで私は、マッサージのことを考えてしまいます。

日本には「あん摩マッサージ指圧師」という国家資格があります。ところが街を歩けば、「整体マッサージ」「リラクゼーションマッサージ」「もみほぐし」といった看板をいくらでも見かけます。一般の人が、「あん摩マッサージ指圧師」と「整体師」の資格の違いをどれくらい理解しているでしょうか。

そもそも整体師は国家資格ではありません。厚生労働省は現在でも、無資格者によるあん摩・マッサージ・指圧について注意を呼びかけています。それでも社会では、「マッサージ」という言葉と国家資格の結びつきはかなり曖昧になりました。

私は、同じことが鍼でも起こるのではないかと心配しています。

「鍼ではないドライニードリングだ」と。

これは「マッサージではない整体だ」と構造が全く同じなのです。


そして事故が起きる


ここで最初の話に戻ります。

仮に、はり師免許を持たない人がドライニードリングを行ったとします。

肩甲骨周辺に鍼を刺した。
患者が胸痛を訴えた。
病院へ行った。
画像を撮ったら気胸だった。

医師は症例報告を書きます。

「鍼施術後に発症した気胸」

もしそこに施術者の資格が書かれていなかったら、どうなるでしょう。
数年後、安全性について文献レビューが行われます。

「鍼関連の有害事象――気胸1例」

となります。

さらにそれが、「鍼治療では気胸が起こることがある」という情報になります。

一般の人がそれを読めば、「鍼灸師が起こした事故」と受け取る可能性があります。事故を起こしたのが鍼灸師ではなかったとしてもです。


国家資格は何のためにあるのか


はり師になるためには、学校や養成施設で3年以上学ばなければなりません。

解剖学も学びます。
生理学も学びます。
病理学も臨床医学も学びます。
衛生学も学びます。

もちろん、学校を卒業して国家試験に合格したから事故を起こさない、ということではありません。
国家資格者だって事故を起こす可能性はあります。だからこそ安全教育が必要です。

しかし、ここで一つ疑問が生まれます。

国家資格者と無資格者を区別せずに事故を集計してしまったら、国家資格制度による安全教育が実際に事故を減らしているのかどうかさえ検証できないのではないでしょうか。

仮に有資格者の事故率が低かったとしても、わかりません。逆に差がなかったとしても、わかりません。データを取っていないからです。


事故を報告するとき「誰が刺したのか」を記録してほしい


私が言いたいことは、無資格者が危険で、鍼灸師なら安全だ、という単純な話ではありません。
調べてもいないことを決めつけるつもりはありません。だからこそ調べられるようにしてほしいのです。鍼による有害事象を報告するとき、


少なくとも、

・はり師
・医師
・その他の医療資格者(はり師免許なし)
・医療資格なし
・不明

くらいは記録してほしいと思います。それだけで事故の意味は大きく変わります。


国家資格者による事故が多いのであれば、鍼灸師の教育を見直さなければなりません。特定の部位で事故が多いのであれば、安全教育を強化すべきでしょう。もし無資格者による事故が多いのであれば、取り締まりや社会への周知が必要です。

差がないのであれば、それも重要な事実です。ところが今のままでは、その議論の出発点となるデータがありません。


鍼灸師の問題として考えたい


ドライニードリングという言葉が日本でも聞かれるようになりました。
私はドライニードリングという技術そのものを否定したいわけではありません。

経絡を使うのか。
筋肉を狙うのか。
トリガーポイントを狙うのか。

それは治療理論の話です。資格とは別の話です。どんな理論であっても、人の身体に鍼を刺す以上、安全性の問題から逃れることはできません。そして事故が起きたとき、その事故が「鍼による事故」として記録されます。

そのとき施術者の資格が記録されていなければ、国家資格を持って長年仕事をしてきた鍼灸師まで、同じ一つの箱に入れられてしまいます。私はそこに危機感があります。

マッサージという言葉と国家資格の境界が曖昧になっていったように、

鍼もまた、

「Acupuncture」
「Dry Needling」

と名前を分けることで、誰が身体に鍼を刺してよいのかという境界まで曖昧になってしまうのでしょうか。

事故が増えてから議論しても遅いと思います。まず必要なのは「その鍼を刺したのは誰なのか」を記録するルールです。事故を記録するとき、それも一緒に記録する。そこから始めるべきではないでしょうか。


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鍼灸師は「治療家」なのか ― 揺らぐアイデンティティ
公開:
要旨: 鍼灸師は「治療家」と呼ばれることがあります。そのたびに違和感が生じます。この違和感の正体はなんだろう、と考えていてようやくはっきりしました。結論を書く前に、この「治療家」という言葉いつ頃から使われ始め、現在どのような使われ方をされているのか、いったん整...
鍼灸師は治療家なのか

鍼灸師は「治療家」と呼ばれることがあります。そのたびに違和感が生じます。この違和感の正体はなんだろう、と考えていてようやくはっきりしました。結論を書く前に、この「治療家」という言葉いつ頃から使われ始め、現在どのような使われ方をされているのか、いったん整理しておきます。

1937(昭和12)年には青山隆雄『治療家必携寳典―治療家の是非とも心得べき事項』という本が出版されているので、少なくとも1930年代には「治療家」という言葉が用いられていました。

この当時から、医師という法的職業があるいっぽうで、鍼、灸、按摩、指圧、整体・操法、精神療法など、医師とは異なる療術を行う人々がいました。この人たちをひとまとめにする便利な箱として使われ始めたと考えられます。

ちなみに、私が持つ、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師がどのように制度化されてきたのかを整理しておきます。

明治初期~
府県ごとの取締・営業許可・免許

1911年(明治44年)
内務省令「鍼術灸術営業取締規則」
→ 全国統一ルールのもとで地方長官が免許

1947年(昭和22年)
「あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法」
→ 戦後の資格制度へ

現在
「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」
→ 厚生労働大臣免許としての「はり師」「きゅう師」


違和感① 市場としての「治療家」


ビジネスモデルが似ている職業として、鍼灸師がその枠に収められてしまっていると感じるのです。「治療家」という市場の中でお客さんをしている感覚がしてきます。
こんなニュアンスの広告を目にしない日はありません。

・治療家のための集客
・治療家のための経営塾
・治療家のためのSNSマーケティング
・治療家のための高単価メニュー

鍼灸師もこうした広告のターゲットになっています。実際、鍼灸師は治療家という市場の一部なのです。


違和感② 競合としての「治療家」


①と似ている話ですが、私たち鍼灸師は治療家と競合します。何なら、鍼灸はその中で一番最後に検討される売れ残りです。ちょっと自虐が入っていますが、鍼灸を最後の手段と考えている人が多いので実際そんなところです。ただ、彼らと競いたいわけではない、という本音が私の中にあります。話がそれますが、鍼灸師には広告制限があって、広告しづらいという事情があります。だから、こうやってブツブツ書いちゃうんですよ。


違和感③ アイデンティティを壊す「治療家」


どうも「家」という言葉が引っかかるのです。同様の表現としては、芸術家、思想家、武道家、作家など。これって、その人の生き方を表すような表現のように思いませんか。自分から言うならよいのですが、他人から「治療家ですよね」と言われると、人生のどこかを縛られてしまったような気になるのです。

また、「治療」という言葉の主体が、施術する側にあるように感じてしまいます。治療って誰がやるのでしょうか。本来は患者が行うことです。本来は患者が主体である言葉を、施術する側に使っているのです。ここにも違和感を覚えます。

治すのは患者さん本人です。私たちはそのきっかけをつくることしかできません。だから、私たちが施術をして症状が消えても、私たちが治したわけではありません。「治した」という錯覚に過ぎません。

「治せる治療家になろう」

一番の違和感は「鍼灸師」(厳密には、はり師ときゅう師)

ここまで「治療家」という言葉を否定的に扱ってきてしまったのですが、私がもっとも違和感を抱いているのは「鍼灸師」です。なんで道具の名前が免許の名称になっているのですか?

医療系の免許をいくつか並べてみます。

医師、歯科医師、看護師、助産師、保健師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、救急救命士。

で、鍼灸師。

これだけおかしくないですか? 目的を語っていません。何のために使うのか、わかりません何のために存在しているのか、から説明しなければいけないのは鍼灸師だけです。鍼灸は身体の機能を整えることが目的ですが、整体師という職業にそのポジションを奪われています。鍼灸師の目的を考えれば、鍼灸師は整体師と呼ばれてもおかしくないのです。

それで、私は何者なのか…
答えが出ないまま鍼灸師のクリ助の奮闘はつづく。


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自律神経を整えるツボについて考える
公開:
要旨: 「自律神経を整えるツボ」と検索すると、たくさん出てきます。百会、内関、神門、足三里、三陰交……。鍼灸院のホームページでもよく見かけますし、一般向けの健康記事でも紹介されています。 私自身、患者さんとの会話で「自律神経」という言葉を使うことがあります。便...
自律神経を整えるツボについて考える

「自律神経を整えるツボ」と検索すると、たくさん出てきます。百会、内関、神門、足三里、三陰交……。鍼灸院のホームページでもよく見かけますし、一般向けの健康記事でも紹介されています。

私自身、患者さんとの会話で「自律神経」という言葉を使うことがあります。便利な言葉です。患者さんにも伝わりやすい。でも、この言葉を使うときに少し気持ち悪さを感じることがあります。

そもそも『黄帝内経』が書かれた時代に「自律神経」という言葉はありません。交感神経も副交感神経もありません。当然ながら、「自律神経を整えるツボは○○です」なんて書いてあるはずがありません。

では、現在「自律神経に効く」と言われているツボは、いったい何に効いているのでしょうか。


自律神経を「整える」とは何なのか


ここで、もっと根本的なところから考えてみます。そもそも、自律神経が整っているとは、どういう状態なのでしょうか。

自律神経には交感神経と副交感神経があります。しかし、交感神経が働くことが悪く、副交感神経が働くことがよい、という単純な話ではありません。運動するときには交感神経の働きが必要ですし、休息するときには副交感神経の働きが重要になります。

では、何をもって「整った」と判定するのでしょうか。

ここが意外に難しいのです。自律神経全体の「整い具合」示す公式な指標はありません。 血圧を測って「120/80mmHgだったから自律神経は80点」というような共通の物差しは存在しません。

研究では、心拍数、心拍変動(HRV)、血圧、発汗、皮膚電気活動、皮膚温、瞳孔など、さまざまな指標を使って自律神経の働きを推測します。心電図から一拍ごとの間隔を調べるHRVは、鍼の研究でもよく使われています。

つまり研究者は、自律神経そのものを一つのメーターで測っているわけではありません。それぞれが研究目的に応じた指標を用意して、自律神経活動の一面を評価しています。

自律神経を評価する主な指標

「自律神経が整った」は意外と曖昧


たとえば足三里に鍼をしたとします。鍼をする前と後でHRVを測ったところ、ある指標に変化が出た。これは立派な研究です。でも、「足三里に鍼をすると自律神経が整うことが証明された」とまで言ってよいのでしょうか。少し話が大きくなっています。

正確には、足三里への刺激によって、自律神経活動と関連する指標の一つに変化が現れたということです。別の研究では血圧を調べるかもしれません。皮膚温を測るかもしれません。胃腸の動きを調べるかもしれません。それぞれが自律神経の働きを見るための窓です。でも、どれか一つが「自律神経そのもの」ではありません。

そう考えると、「自律神経を整える」という言葉には、思っていた以上に曖昧さがあります。だから、この言葉を使うなと言いたいわけではありません。むしろ、ここからが今回考えたいことです。


古典だって同じではないか


ここまで書くと、「やっぱり自律神経なんて曖昧な言葉じゃないか」という話になりそうです。でも、私はそういう結論にしたくありません。

なぜなら古典を読んでいると、古代の医学も似たことをしていると思うからです。

古代の医者には心電計がありません。血圧計もありません。スマートウォッチもありません。では、身体の中で起きていることをどうやって知ろうとしたのでしょうか。

 脈を診る。
 顔色を見る。
 汗を見る。
 呼吸を見る。
 身体に触れる。
 痛みを聞く。
 食べられているかを聞く。
 眠れているかを聞く。


そうやって身体の表面に現れている徴候を拾い集め、身体の中で何が起きているのかを推測しました。

もちろん現代の生理学的検査と古典医学を同じものだと言っているわけではありません。測定精度も検証方法もまったく違います。でも、考え方の構造には似ているところがあります。

直接見ることのできないものを、観察できる指標から推測する。

これは現代の自律神経研究でもやっていることです。


指標をつくることで身体を理解する


考えてみれば、医学は指標だらけです。体温、血圧、心拍数、血糖値、酸素飽和度。これらは身体そのものではありません。身体の状態を理解するために、人間が選んだ指標です。

自律神経研究ではHRVや血圧、発汗などを見る。古典医学では脈や舌や顔色、汗、食欲、睡眠などを見る。違うのは、何を指標として選んだのかです。

ここで私は、古典医学を現代医学より優れたものとして持ち上げたいわけではありません。当然、客観的に数値化できる現代の測定機器には大きな強みがあります。ただ、現代医学の言葉に置き換えれば曖昧さがなくなるというわけでもないのです。

「自律神経」という言葉を使った瞬間に科学的になったような気がします。でも、「自律神経が整った」という言葉の中身を見てみると、研究者はHRVや血圧や発汗など、それぞれ別のところから自律神経を観察しています。


「自律神経のツボ」は古典にはない


では、話をツボに戻します。

現在、自律神経に効くツボとしてよく紹介されるのが、百会、内関、神門、足三里、三陰交などです。もちろん古典では、これらを「自律神経のツボ」としてまとめていません。

内関には心胸部の症状や嘔吐などがある。神門には驚悸や心煩、不眠などがある。足三里には胃腸症状がある。百会には頭痛や眩暈などがある。三陰交には婦人科、泌尿生殖器、胃腸、不眠など、幅広い主治があります。

バラバラです。

ところが現代人の目で見ると、動悸、不眠、胃腸の不調、めまい、発汗、倦怠感などを「自律神経の問題ではないか」と考えることができます。

つまり、古典に「自律神経のツボ」があったのではありません。

古典で別々に扱われていた身体現象を、現代人が「自律神経」という新しい箱に入れ直した。

私は、このように考える方が自然だと思っています。

東洋医学の古典の中に自律神経という文字はない



翻訳することは悪いことではない


ここで「そんなものは古典にないのだから、自律神経という言葉を使うべきではない」と言ってしまうと、私はそれも違うと思います。

患者さんに古典の用語で説明するより、「自律神経が関係しているかもしれません」と言った方が伝わることがあります。現代人は「自律神経」という言葉を知っています。

面白いことに、東洋医学を知らない人でも、「病院では異常がないと言われたけれど、なんとなく身体の調子が悪い」という状態を、「自律神経が乱れているのかな」と理解することがあります。

古典医学とはまったく違う言葉を使いながら、身体全体の調子を一つの病変だけでは説明できないという感覚を現代人も持っているわけです。

そういう意味では「自律神経」という言葉は、古典医学の身体観を現代人に説明するとき、とても便利な翻訳語です。


古典を読むと言いにくくなる


ところが困ったことがあります。古典を勉強すればするほど、「このツボは自律神経を整えます」と言い切りにくくなります。古典にはそんなことは書いていないと知っているからです。

むしろ、古典をあまり勉強せず、最初からセミナーなどで「自律神経には○○穴」と教わった鍼灸師の方が迷いません。患者さんにも説明しやすいでしょう。これはちょっと皮肉です。

勉強した結果、言葉に慎重になる。でも、患者さんに伝えるには現代の言葉を使った方がよい。私自身、この間で揺れます。


翻訳すると失われるもの


私は、古典医学を現代医学の言葉で説明することに反対ではありません。むしろ必要だと思っています。

問題は、すべてを置き換えようとすることです。

古典にある動悸も、不眠も、胃腸症状も、発汗も、めまいも、「はい、自律神経です」とまとめてしまえば簡単です。でも、まとめた瞬間に、それぞれの現象を別々に観察していた古典医学の情報が消えてしまうかもしれません。

翻訳するとわかりやすくなります。その代わり、翻訳できなかったものが落ちます。これは外国語を翻訳するときと同じです。

だから私は、

患者さんには現代の言葉で説明する。自分の頭の中まで現代の言葉だけにしない。

くらいにしておくのがちょうどよいのではないかと思っています。


古代人の指とスマートウォッチ


ここまで考えていて、面白いものに気がつきました。スマートウォッチです。

最近のスマートウォッチは、手首から心拍数や心拍変動などを測定し、睡眠やストレスなどの指標を表示します。時計の裏を見ると光っています。あれは皮膚に光を当て、血流の変化から脈拍を読み取っています。

古代の人は手首に指を置きました。現代人は手首にセンサーを置いています。

もちろん、脈診とスマートウォッチは別物です。古代の脈診をスマートウォッチが科学的に証明した、なんて話でもありません。でも、身体の表面に現れる小さな変化を拾い、直接見ることのできない身体内部の状態を推測するという発想は、どこか似ています。しかもスマートウォッチは、単に一分間に何回脈が打ったかだけではなく、一拍ごとの間隔の揺らぎまで見ています。

二千年前の人は指で脈を診ました。現代の研究者は心電図を使います。私たちは手首にスマートウォッチを巻いています。ずいぶん違うことをしているようで、身体を知ろうとすると、結局また身体の表面に現れる小さな徴候を拾っています。

脈診とスマートウォッチ


同じ身体を違う言葉で見ている


古典医学と現代医学は、まったく違う時代につくられた医学です。使っている言葉も違えば、身体の分類の仕方も違います。それでも、見ている身体は同じ人間です。

ここまで「自律神経」という言葉について考えてきて、私はこの当たり前のことが一番重要なのではないかと思うようになりました。

古代の人が見ていた動悸と、現代人の動悸は別の現象ではありません。眠れない人も、胃の調子が悪い人も、汗をかく人もいました。それを古代の医者は古代の医学で整理し、現代の私たちは現代の医学で整理しています。

だから、古典に書かれているものを現代医学の言葉に置き換えたとき、驚くほどきれいに重なることがあります。一方で、どうしても重ならないところも出てきます。

私は、その重ならないところが大事だと思っています。

きれいに重なったところだけを拾えば、古典は現代医学の不完全な説明書になってしまいます。「昔の人は自律神経という言葉を知らなかったから、気や陰陽という言葉で説明したのだ」と考えれば、話は簡単です。でも、本当にそれだけでしょうか。

古代の人は、現代医学とは違う分類で身体を見ていました。だからこそ、現代医学の分類では見落としてしまう関係を拾っている可能性があります。逆に、古典では見えなかったものを現代医学が見えるようにしたところもたくさんあります。

どちらかを正解にして、もう一方を翻訳するのではありません。

同じ身体を、違う角度から見ている。

そう考えると、「自律神経」という言葉も「気」という言葉も、身体そのものではありません。身体を見るためにつくられた言葉です。

大切なのは言葉に身体を合わせることではなく、目の前の身体に合わせて言葉を使うことなのだと思います。だから私はこれからも患者さんに「自律神経」という言葉を使うでしょう。でも、頭の中ではそれだけにしないようにしたいと思います。

古典の窓から見える身体と、現代医学の窓から見える身体。両方から覗いてみた方が、きっと身体は面白いのです。


「自律神経のツボ」を決めるのは誰なのか


ここまで考えてくると、「自律神経を整えるツボはどこですか?」という問いそのものを、少し変えた方がよいように思います。

百会なのか、内関なのか、神門なのか、足三里なのか、三陰交なのか。最初から答えをツボの名前に求める必要はありません。

自律神経を評価するのであれば、心拍数、心拍変動(HRV)、血圧、発汗、皮膚電気活動、皮膚温、瞳孔など、観察できる指標があります。もちろん一つの指標だけで「自律神経が整った」とは言えませんが、施術によって自律神経に関連する指標が望ましい方向へ変化したのであれば、その人にとって、そのとき使ったツボは「自律神経を整えるツボ」になり得ます。逆も同じです。

有名な鍼灸師が「このツボは自律神経を整える」と言っていたとしても、実際に使って何も変わらないのであれば、少なくとも目の前の患者さんに対して、その説明をそのまま受け入れる理由はありません。

ここで難しいのは、ツボは薬のように同じものを誰でも同じように使えるわけではないことです。同じ「足三里」を使うと言っても、鍼灸師によって取る位置は微妙に違います。刺す方向も深さも違います。鍼の太さも違えば、刺激量も違います。

さらに言えば、同じ鍼灸師が同じ場所に同じように鍼をしても、いつも同じ結果になるとは限りません。患者さんの状態も違いますし、施術者との関係性や施術を受ける状況によっても反応は変わるでしょう。

そうなると、「自律神経に効くツボ」というものが身体のどこかにあって、それを正しく覚えればよい、という話ではなくなります。

ツボに鍼や灸をしたら、起きた変化をしっかり診る。

こちらの方が鍼灸の本来の姿に近いように思います。

先人たちは身体を観察し、反応を拾い、それを言葉にして残してきました。現代の私たちには、そこに心電図やHRV、血圧計、スマートウォッチといった新しい観察手段も加わっています。だったら、それを使えばよいのです。

目の前の患者さんに鍼をして、何が変わったのか。

結局、施術後の変化を丁寧に観察することが大事です。そうすれば、すべてのツボが自律神経を整えるツボになり得ます。もっと言ってしまえば、鍼灸は、そもそもが自律神経を調整する技術であると私は思っています。

ですから、「自律神経を整えるツボはありますか?」と聞かれたら私はこう答えています。

「どれでも!」

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経絡治療が最強である理由ー経絡は誰のものなのか
公開:
要旨: いきなり誤解されそうなタイトルをつけてしまいました。「経絡治療が最強」と書くと、経絡治療が他の鍼灸よりも優れていると言っているように聞こえるでしょう。 そういう意味ではありません。治療法の優劣を比較したいわけでもありません。私が「最強」だと思っているの...
経絡治療か最強である理由

いきなり誤解されそうなタイトルをつけてしまいました。「経絡治療が最強」と書くと、経絡治療が他の鍼灸よりも優れていると言っているように聞こえるでしょう。

そういう意味ではありません。治療法の優劣を比較したいわけでもありません。私が「最強」だと思っているのは、名前です。

 経絡治療。

ズルいほど強いです。なぜなら「経絡」は、鍼灸医学の一丁目一番地にある言葉だからです。


「経絡」は誰のもの?


鍼灸師なら経絡を知らない人はいません。肺経、大腸経、胃経、脾経……。鍼灸学校に入れば早い段階で習います。ツボを覚えるときにも、経絡の上にツボが並んでいるものとして学びます。ですから「経絡」は、特定の治療法だけが使う特殊な理論ではありません。

ところが、日本には「経絡治療」という治療体系があります。「経絡を使った治療」という一般名詞のように聞こえますが、実際には固有名詞です。

ここで、ちょっと不思議なことが起こります。経絡治療をしている鍼灸師は、経絡を重視しているということはわかります。では、経絡治療をしていない鍼灸師はどうなのでしょうか。

経絡を重視していないような感じがしてきませんか?

そんなことはありません。経絡治療とは違う方法で経絡を利用している鍼灸師はいくらでもいます。経脈の走行を参考にする人もいれば、経絡上の離れたツボを使う人もいます。

それでも「経絡治療」という名前があまりにも強いので、

 経絡を使う=経絡治療
 経絡治療以外=経絡を使わない


という錯覚が起こりやすいのです。

では、どうしてこんなに強い名前が生まれたのでしょうか。少し歴史を遡ってみます。


「古典に還れ」


経絡治療が成立したのは、古代中国ではありません。昭和初期の日本です。

当時の日本鍼灸には、西洋医学の影響を受け、痛いところや病変部を中心に治療する方向がありました。これに対して柳谷素霊らが唱えたことで知られるのが、「古典に還れ」です。

『黄帝内経』や『難経』などに立ち返り、鍼灸独自の医学をもう一度見直そうとしたわけです。

ここで私は「古典を復活させた」とだけ考えない方がよいと思っています。古典に書いてある治療法を、そのまま発掘して再現したわけではないからです。

古典を読む。そこから使える考え方を拾う。診断法をつくる。治療法と結びつける。そして一つの臨床体系にする。つまり、古典を材料にして、近代日本の鍼灸を再構築しようとしたと考えた方が実態に近いと思います。


最初は「経絡治療」ではなかった


ここで面白い話があります。成立初期から「経絡治療」という名前だったわけではありません。戦前の資料を調査した研究によれば、「古典的治療」「経絡的治療」といった呼称が使われた時期があり、1941年ごろから「経絡治療」という名称が確認されるようになります。

「おや?」って思いませんか?

「経絡治療」と呼ばれていたことがあるのです。「的」という文字が入っています。。経絡を重視した治療。経絡を利用した治療。そんな響きがあります。ところが、最終的に残ったのは「経絡治療」。

」がいなくなりました。

たった一文字ですが、私は印象がかなり違うと思います。「経絡的治療」であれば、数ある経絡を利用した治療の一つに聞こえます。しかし「経絡治療」となると、まるで経絡を使う治療そのものを表しているように聞こえます。

もちろん、当時の人たちが他の鍼灸から「経絡」という言葉を奪おうとした、と言いたいわけではありません。結果として、この名前がものすごく強かったのです。


なぜ脈を診るのか


経絡治療といえば脈診です。左右の手首に三本ずつ指を置いて脈を診ます。これを「六部定位脈診」と呼びます。

いかにも古典にそのまま書いてありそうな名前ですが、「六部定位脈診」という名称が確認されるのは昭和になってからです。現在確認されている初出は、1942年に岡部素道が発表した文章とされています。

もちろん、寸・関・尺で脈を診ることや、脈を臓腑と関係づける考え方そのものが昭和に突然生まれたわけではありません。材料は古典にあります。しかし、それらを組み合わせ「六部定位脈診」という一つの診断体系として名前を与えたのは近代日本です。

なぜ経絡治療がこれほど脈診を重視したのか。ここには経絡というものの性質が関係しているように思います。以前の記事でも取り上げましたが、『霊枢・経脈篇』には、
經脈者、常不可見也
 経脈は常には見ることができない。

とあります。

では、見えない経脈の状態をどうやって知るのでしょうか。古典には寸口と人迎を比較したり、身体の複数箇所で脈を診たりする方法があります。つまり、直接見ることのできないものを、身体表面に現れる拍動から推測するという発想です。このあたりの話は前回の記事で書きました。

経絡治療は、その古典医学の中にある「脈を診る」という発想を、治療体系の中心に据えました。脈を診て経絡の虚実を判断する。そして、その診断を治療へつなげます。


診断したあと、どうするのか


ここで問題が出てきます。脈を診て「この経が虚している」と判断できたとしましょう。それだけでは治療になりません。

では、どこに鍼をするのか。

ここで非常に使いやすいルールが古典にありました。『難経』六十九難です。
虚者補其母、実者瀉其子
 虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉す。


五行の母子関係を利用した治療原則です。これを利用すると、

 脈を診る → 経絡の虚実を判断する → 証を決める → 母子関係から治療するツボを決める

という流れをつくることができます。診断と治療がつながります。診断と治療が直結することは臨床体系として魅力があります。実際、私はこの魅力に惹かれて鍼灸学生のときは勉強会に通っていました。

経絡治療が『難経』六十九難を重要視した理由の一つは、わかりやすさにあったのではないかと私は考えています。診断した結果を、そのまま選穴へつなげることができることは、治療体系をつくるうえで、非常に相性のよいルールだったのです。


「本治法」と「標治法」


そして経絡治療には、もう一つ強い言葉があります。

本治法と標治法です。

「標」と「本」という考え方そのものは古典にあります。ですから、経絡治療をつくった人たちが「標」と「本」を発明したわけではありません。しかし、本治法・標治法という二つの治療カテゴリーが、その名称と意味のまま古典に書いてあるわけでもありません。

戦前の資料を調査した研究では、経絡治療が形づくられていった1940年代前半に、「本治」と「標治」の定義が整備されていったことが確認されています。

ここでも同じことが起きています。

 古典にある材料を拾う。
 意味を整理する。
 治療体系の中で役割を与える。
 そして、名前をつける。



言葉をつくると技術が残る


経絡治療をつくった人たちは、治療法だけをつくったのではありません。治療法を説明する言葉をつくりました。

 経絡治療
 六部定位脈診
 本治法
 標治法
 経絡虚実証
 基本証


もちろん、すべての言葉をゼロから発明したという意味ではありません。古典にある言葉もあります。既に存在していた概念もあります。重要なのは、それらを一つの治療体系の中で使える言葉にしたことです。

言葉がなければ、技術を説明するのは大変です。名前がつけば、教えることができます。覚えることができます。議論することができます。そして、次の世代へ渡すことができます。

これは治療技術を残すうえで、とても大切なことです。


「本治」という言葉も強い


私は「本治法」という名前も、かなり強いと思っています。

「本」を治す。

そう言われたら、何となく根本から治してくれそうに聞こえます。一方が「本治法」で、もう一方が「標治法」。知らない人が聞けば、本治法の方が本質的な治療なのではないかと思ってしまっても不思議ではありません。

ここでも、名前が理論の印象をつくっています。もちろん「本治法」という名前をつけた人が、そのような印象操作を狙ったと言いたいわけではありません。

言いたいのは逆です。よくできた専門用語は、それだけ強いということです。


「経絡」という言葉を使った強さ


ここで最初の話に戻ります。

 経絡治療

やはり、この名前は強いです。もし「柳谷式治療」とか「昭和古典鍼法」という名前だったら、現在の印象はずいぶん違っていたでしょう。しかし選ばれた言葉は「経絡」でした。

鍼灸師なら誰もが知っている。古典鍼灸の中心にある。学校でも習う。ツボとも切り離せない。そんな言葉が、そのまま一つの治療体系の名前になりました。

その結果、

 経絡治療をする人=経絡を使う人

というイメージができました。裏返せば、

 経絡治療をしない人=経絡を使っていない人

のように見えてしまうことがあります。でも、それは違います。経絡は経絡治療だけのものではありません。


経絡治療は古典そのものではない


ここも大切なので書いておきます。経絡治療は古典を非常に大切にしています。しかし、「経絡治療=古典そのもの」ではありません。

『黄帝内経』や『難経』の中に、「経絡治療」という完成した治療法が入っていて、それを昭和の鍼灸師が掘り出したわけではありません。

古典の中から材料を拾い、取捨選択し、組み合わせ、臨床で使えるように整理し、名前を与えた。その結果としてできたのが、近代日本の経絡治療という一つの体系です。

私はここを区別することが、経絡治療を否定することになるとは思いません。むしろ逆です。そこに経絡治療をつくった人たちの仕事があります。


だから「最強」


ようやくタイトルに戻ります。

私が「経絡治療が最強である」と書いたのは、治療効果を比較して一番だと言いたいからではありません。

昭和の鍼灸師たちは、古典を読み直しました。そこから診断法をつくりました。治療原則を整理しました。臨床体系をつくりました。そして、それらを後世に伝えるための言葉まで整えました。その中でも最大のヒット作が「経絡治療」という名前だったのではないでしょうか。

最初は「経絡的治療」と呼ばれていたものから「的」が取れ、経絡治療になった。たった一文字です。でも、その一文字が取れたことで、経絡を使った一つの治療法から、まるで「経絡を使う治療の代表」のような名前になりました。

その名前は80年以上経った今も使われています。そして私たちは「経絡治療」と聞けば、一つの治療体系をすぐに思い浮かべます。ここまで名前と体系を定着させたこと自体、すごいことです。ただ、一つだけ忘れないようにしたいと思います。

経絡は、経絡治療だけのものではありません。

経絡治療とは違う方向で「経絡」について学んでもよいのです。違う診断法を使ってもよいのです。違うツボの選び方をしてもよいのです。経絡は、特定の流派が所有するものではないからです。

経絡は、鍼灸師みんなのものです。

だからこそ、そのど真ん中にある言葉を自分たちの名前にした「経絡治療」は、やっぱり最強なのです。

鍼灸のクリ助ch.(YouTube)
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はりきゅう養気院(群馬県/伊勢崎市)
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整動協会(鍼灸師のための臨床研究会)
経絡はいつ生まれたのか(3) 見えない経絡をどうやって診たのか
公開:
要旨: (2)「ツボは経絡から生まれたのか」のつづき 「脈を診ますね」 そう言われたら、たいていの人は手首を差し出すと思います。鍼灸師も同じです。「脈診」と聞けば、手首の橈骨動脈に指を当てて脈を診る方法を思い浮かべます。でも、古典を読んでいると、その感覚を改めなけ...
見えない経絡をどうやって診たのか

(2)「ツボは経絡から生まれたのか」のつづき

「脈を診ますね」

そう言われたら、たいていの人は手首を差し出すと思います。鍼灸師も同じです。「脈診」と聞けば、手首の橈骨動脈に指を当てて脈を診る方法を思い浮かべます。でも、古典を読んでいると、その感覚を改めなければなりません。

そもそも「脈」って何なのでしょうか。

前回は、1973年に中国の馬王堆漢墓から発見された医学書を紹介しました。そこには現在のような十二経脈はなく、十一の「脈」が記されていました。

 『足臂十一脈灸経』
 『陰陽十一脈灸経』


です。

経絡よりも古い時代まで遡ろうとすると、そこに現れるのは「脈」です。ここに出てくる「脈」と現代の医療で使われている「脈」をいったん切り離して考えていきましょう。最後まで読んでいただけると、古代と現代のつながりが見えてきます。

ということで、今回は「脈」という文字を追いかけてみます。


「脈」を手首の脈だと思ってはいけない



『霊枢・経脈篇』には、
肺手太陰之脈
 肺の手太陰の「脈」です。

とあります。

この脈が身体のどこを通るのかが説明されていきます。その途中に、とても興味深い文章があります。
入寸口、上魚、循魚際、出大指之端
 寸口に入り、魚に上り、魚際を循り、母指の端に出る。


ここで注目したいのは、
入寸口
 寸口に入り
です。

脈が「寸口に入る」と書いてあります。寸口とは、現在の脈診でも使われる手首のところです。ということは、少なくともこの文章では、「脈=寸口で触れる拍動」ではありません。脈という何かが身体を走っていて、その途中に寸口があるということです。

私たちは「脈」と聞くと、どうしてもドクンドクンと拍動するものを想像します。現代の「脈拍」という言葉に引っ張られているのでしょう。でも、古典の「脈」は、それだけではなさそうです。


「脈」は経絡なのか


東洋医学を勉強していると「そうか、古典の脈とは経絡のことか」と考えてしまいたくなるのですが、結論を急ぎすぎです。

前回紹介した馬王堆の医学書にも「脈」はあります。しかし、そこにあるのは現在の完成した十二経脈ではありません。十一脈です。しかも、それぞれの脈は独立性が高く、現在の十二経脈のように全身をぐるりと循環する構造にはなっていません。

ですから、「脈=経絡」と置き換えてしまうと、また完成した理論を古い時代に持ち込むことになります。いったん「脈」は「脈」のままにしておきながら、もう少し見ていきましょう。


「脈」は触ることもできる


『霊枢・本輸篇』には、こんな文章があります。
任脈側之動脈足陽明也、名曰人迎
 任脈の傍らにある「動脈」は足陽明であり、人迎と名づける。
ここには、はっきり「動脈」と書かれています。人迎は首にあります。実際に触ってみれば、拍動を感じる場所です。

さらに、
腋内動脈手太陰也、名曰天府
 腋の内側にある「動脈」は手太陰で、天府と名づける。

とあります。

古代の人が身体の拍動を認識していたことは間違いありません。ここで注目したいのは「動脈」という言葉だけではありません。 
動脈足陽明也
「動脈」は足陽明である

と書いてあることです。

現代の鍼灸師なら「足陽明」と聞けば、すぐに足陽明胃経を思い浮かべるでしょう。顔から身体を下り、足まで続いている一本の経絡です。でも、ここでも完成した経絡を先に持ち込まない方がよさそうです。

原文に書いてあることだけを見れば、首で拍動を感じる場所があり、それを「足陽明」と呼んでいる。そして、その場所を「人迎」と名づけています。

同じように、腋で拍動を感じる場所を「手太陰」としています。

つまり、「足陽明」や「手太陰」は、少なくともこの文章では、私たちが現在思い浮かべる身体に描かれた一本の線だけを意味しているとは限りません。身体表面で実際に触れることのできる拍動とも結びついています。

現代の私たちは「動脈」と聞けば、心臓から送り出された血液が流れる血管を思い浮かべます。しかし、この文章では血管の構造について説明しているわけではありません。

 ここに拍動がある。これは足陽明である。
 ここにも拍動がある。これは手太陰である。


古典に書かれているのは、まずそこまでです。

「これは血管の話」「これは経絡の話」と現代の知識で仕分けする前に、古代の人が身体に触れて感じたものを、どのように「脈」として捉えていたのかを見ていく必要がありそうです。


見えない「経」をどうやって診るのか


ここで第1部の話に戻ります。

『霊枢・経脈篇』には、
經脈者、常不可見也
 経脈は常には見ることができない。

とあります。
そして、
脈之見者、皆絡脈也
 見える脈は、みな絡脈である。

第1部では、ここから「経」と「絡」をいったん分けて考えました。

 経は見えない。
 絡は見える。


でも、ここで一つ疑問が出てきます。見えないものを、どうやって診るのでしょうか。経脈を見ることができないのであれば、その状態がよいのか悪いのか直接確認できません。ところが『経脈篇』を読み進めると、そのヒントになりそうな記載があります。


寸口だけを診ていたわけではない


『経脈篇』では、それぞれの脈について、その脈が盛んなのか、虚しているのかを判定しています。

たとえば手太陰肺の脈では、
盛者、寸口大三倍於人迎、虚者、則寸口反小於人迎也。
 盛んな場合は寸口が人迎より大きく、虚している場合は反対になる。

とあります。

細かな倍率の問題はいったん置いておきます。

ここで大切なのは、寸口だけを診ているわけではないことです。比較している相手は、人迎です。位置で言うと、手首(寸口)と首(人迎)です。この二つの場所の拍動を比べて、脈の状態を判断しています。

人迎と寸口

現代の鍼灸師が「脈診」と聞くと、寸口に指を当てる姿を思い浮かべます。しかし、『黄帝内経』の中にある脈の診察を、そのイメージだけで読んでしまうと大切なものを見落としてしまいます。

さらに『素問』には、三部九候と呼ばれる診察法も出てきます。身体の複数の場所で脈を診ます。「脈を診る=寸口を診る」ではありません。少なくとも『黄帝内経』には、もっと広い「脈を診る」という世界があります。


寸口は「窓」だったのではないか


ここまで古典の記載を並べるとこんなふうに考えるのが自然です。寸口は「脈」そのものではなく「脈の状態を覗く窓」だったのではないか、と。

人迎も同じです。経脈そのものは、
常不可見
 見ることができない。

とはっきり書かれています。

しかし、その状態が身体のどこにも現れないのであれば診察のしようがありません。そこで、身体の表面に現れるものを観察する。絡なら、目で見ることができる。

寸口や人迎なら、指で拍動を触れることができる。つまり、見えないものを、見えるもの、触れるものから推測するのです。そう考えると、「経は見えない」という話と「脈を診る」という話がつながってきます。

ただし、経が見えないから寸口診が考案されたとまで言うことはできません。そこまでの因果関係が古典に書かれているわけではないからです。

それでも、『経脈篇』の中で「経脈は常には見えない」と言いながら、その経脈の盛衰を寸口や人迎に現れる拍動から判断していることは、とても興味深いと思います。


脈診はなぜ手首だけになったのか


そう考えると、今度は逆の疑問が出てきます。

なぜ現在の脈診は、手首が中心なのでしょうか。

首にも拍動があります。足にもあります。『黄帝内経』には身体の複数の場所で脈を診る方法があります。それが後世になると、「寸口」が非常に重要な場所になっていきます。

「独取寸口」という考え方です。ここを追いかけていくと、それだけで一本の記事になってしまいますので今回は深入りしません。

ただ、順序として大切なのは、最初から「脈診=寸口」だったわけではないということです。古典に「脈」と書いてあるのを見て、反射的に現在の脈診を思い浮かべない方がよさそうです。

ちなみに、現代の日本鍼灸では、左右の寸・関・尺に指を置く「六部定位脈診」がよく知られています。いかにも古典にそのまま書かれていそうな名前ですが、実は「六部定位脈診」という名称は古典にはありません。現在確認されている初出は、1942年に岡部素道が発表した文章です。

脈診

もちろん、その材料となった寸・関・尺や臓腑配当などの考え方はもっと古いものです。しかし、古典に書かれた「脈を診る」という行為と、現在私たちが知っている「六部定位脈診」を最初から同じものとして読むことはできません。

ここでも、完成したものを過去に持ち込まないようにする必要があります。


「経絡」という地図ができるまで


さて、ここまで三回にわたって経絡を遡ってきました。第1部では「経」と「絡」を分けました。第2部では、さらに古い馬王堆の医学書まで遡りました。そこにあったのは「経絡」ではありません。十一の脈でした。

今回、その「脈」が何を意味していたのか考えてみました。

 身体を走る「脈」がある。
 拍動として触れる「動脈」がある。
 脈の状態を身体表面から診る方法がある。


こうした「脈」をめぐるさまざまな身体観察が、後の経脈や絡脈という身体の地図につながっていったのだとすれば、「経絡」というものの見え方が少し変わってきます。経絡は、ある日突然誰かが発見したものではないのかもしれません。

「ここに経絡が走っているぞ!」

と発見して、十二本の線を引いたわけではありません。そこには、身体に触れ、身体に問いかけ、その応答を拾い続けた長い時間があったのです。

 触る。
 刺激する。
 変化を見る。
 拍動を診る。


そこから得られた経験が何世紀にもわたって積み重なり、やがて一つの身体の地図として整理されていったのではないでしょうか。


経絡はいつ生まれたのか


シリーズのタイトルに戻ります。

経絡はいつ生まれたのでしょうか。残念ながら「紀元前○年です」と答えることはできませんでした。でも、調べてみると、それで当然なのだと思うようになりました。経絡には、誕生日がないのかもしれません。最初から完成した「経絡」があったわけではないからです。

 脈がある。
 その脈を観察する。
 脈と身体の各部との関係が整理される。
 経と絡が区別される。
 臓腑との関係がつくられる。


それぞれがつながり、一つの体系になっていく。そうした長い積み重ねの先に、現在私たちが「経絡」と呼んでいるものがあるのでしょう。だから古典を読むときに気をつけなければならないことがあります。

私たちは、すでに完成した経絡を知っています。十二経脈を知っています。どこを見ても「肺経、大腸経、胃経、脾経……」と書かれています。ツボが経絡の上に並んでいることも知っています。

その知識を持ったまま古い文章を読むと、古典の「脈」を勝手に「経脈」に変え、「脈を診る」を現在の「脈診」に変え、「経」と「絡」を最初から一つの「経絡」として読んでしまいます。

完成した経絡から古典を読むのではなく、古典の中から経絡ができていく様子を見る。

これが、この三回で言いたかったことです。


古典が記す世界は不思議ではない


古典を読む時に大切なのは、「昔の人はすごかった」という超人的な能力を想定しないことです。古代人も現代人も同じ人間です。古代と言っても二千年くらい前の話です。人類の歴史というスケールから見れば、私たちとまったく別の人間だったわけではありません。

身体に触れる。拍動を感じる。刺激をする。変化を見る。

今回見てきたことも、基本的にはそうした身体観察の積み重ねです。特殊な能力を持っていたと考えなくても説明できます。むしろ、そのように読んだ方が古典に書かれている医学を具体的に考えることができます。

古典をオカルトの道具にしてはいけないと思います。何が書いてあるかわからないからといって、どのように解釈してもよいわけではありません。わからないところはわからない。それでも、書いた人には何かを伝えようとした意図があったはずです。その意図を、実際に書かれている言葉からできるだけ丁寧に拾っていく。それが私の古典との付き合い方です。

最後に私のスタンスを書いておきます。二千年前に書かれたものが現代でも通用するとは限りません。それに、そもそも私は古典の全貌を知っているわけではありません。

ただ、鍼灸師の教養として「古典に何が書かれているのか」を知っておくことには意義があると思います。

今後も古典を切り抜きながら解説していきます。皆さんの教養の一部にしていただけたら嬉しいです。


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経絡はいつ生まれたのか(2) ツボは経絡から生まれたのか
公開:
要旨: 経絡はいつ生まれたか(1) 見える「絡」と見えない「経」のつづき 前回は、『黄帝内経』に出てくる「経」と「絡」をいったん分けて考えてみました。現在の私たちは「経絡」という完成した言葉を知っています。でも古典を読んでいくと、経と絡は区別されています。 さらに...
ツボは経絡から生まれたのか

経絡はいつ生まれたか(1) 見える「絡」と見えない「経」のつづき

前回は、『黄帝内経』に出てくる「経」と「絡」をいったん分けて考えてみました。現在の私たちは「経絡」という完成した言葉を知っています。でも古典を読んでいくと、経と絡は区別されています。

さらに古い時代まで遡ってみると、「経絡」どころか「十二経脈」も出てきません。そこにあるのは、「脈」です。今回はさらに時間を遡ってみます。今回は原文は読みません。古典が書かれた時代を想像しながら鍼灸のルーツを探しに出かけます。


墓の中から出てきた医学書


1973年、中国湖南省長沙市にある馬王堆の漢墓から大量の文書が発見されました。その中には医学に関する文書もありました。

注目したいのは、

 『足臂十一脈灸経』
 『陰陽十一脈灸経』


です。

現在の十二経脈ではありません。十一脈です。しかも、そこに現在のような経穴体系はありません。

肺経があって、その上に中府、雲門、天府、尺沢……とツボが並んでいるという世界ではありません。これだけを見ると、こんな結論を出したくなります。

ツボよりも脈の方が先にあったのではないか。

実際、そのように考えたくなるのも無理はありません。古い医学書には「脈」があり、「ツボ=穴」がない。後の『黄帝内経』になると「経脈」と「経穴」が出てきますので、

 脈 → 経脈 → 経穴体系

という順番だったのではないかと推測すると話は早いのですが、私はこのように考えていません。ここからは私の考えになります。史料から確定できる話ではありませんが、順番に説明してみます。


「書いていない」と「存在しない」は違う


馬王堆の医学書にツボが書かれていないからといって、その時代にツボという発想が存在しなかったことにはなりません。私たちが現在見ることのできる古代の医学書は、当時存在した医学書のすべてではありません。

失われたものが当然あったでしょう。そもそも文字にされなかった知識もあったはずです。

治療技術であれば、なおさらです。

 ここを押すと腹が楽になる
 ここを刺激すると首が動きやすくなる


そんな経験則があったとしても、それが体系的な医学書として残されていたとは限りません。ですから、現在発見されている古い文献に書いていないということと、当時その発想が存在しなかったということは分けなければなりません。

馬王堆の医学書は「脈の方が先だった」という証拠にはなりませんが、「ツボが先だった」という証拠にもなりません。


なぜ「ツボが先」だと考えるのか?


ここからは史料から確定できる話ではありません。私自身の仮説です。私は以前から、経絡よりもツボの方が先だったのではないかと考えています。

理由は単純です。ツボの発見には、大がかりな医学理論が必要ないからです。最初は、身体のどこかを刺激すると、離れたところで何かが変わるという気づきを得たはずです。たとえば次のように。

 痛みが軽くなる
 動きやすくなる
 腹の調子が変わる
 呼吸が楽になる


ツボを認識するには「ここを刺激したら、あそこが変わった」という気づきがあれば十分です。ツボの出発点は、こうした素朴な身体観察だったのではないかと想像しています。


経絡には思考の痕跡がある


経絡理論ができるまでの過程を想像してみます。

身体に線を描き、

 十一に分ける。
 十二にする。


そして、

 陰陽に分ける。
 臓腑と結びつける。
 経と絡を区別する。


さらに、

 全体を循環する構造とする。

ここまでの道のりはかなり複雑です。経験則からパッと出てくるような理論とは思えません。数多くの身体現象を整理して、一つの理論にする膨大な作業が必要です。

つまり、

 ツボは「現象」のみで語れる。
 経絡は「現象をつなぐ理論」を必要とする。


私は、この違いを大きいと思っています。もちろん、「単純なものは古く、複雑なものは新しい」というだけで歴史を決めることはできません。そんなことをしたら、それこそ想像で古典を読むことになってしまいます。

ですから、これは証明ではありません。ただ、ツボのような局所刺激による身体反応の発見があり、それらを整理していく過程で脈や経絡の理論が発達したという順序は、少なくとも検討する価値のある仮説だと私は考えています。


原始体験が「経絡」に集積されたと考える


ここでもう一つ考えなければならないことがあります。仮にツボが先だったとしても、最初からそれを「穴」と呼んでいたとは限りません。

現在の私たちは「ツボ=経穴」と考えます。鍼灸師は「経穴」を正式名称として習います。「経穴」には「経絡に属する」という意味が含まれています。経絡理論ありきでツボを習っているわけです。

しかし、実際は「この辺りを刺激すると何かが起こる」程度の知恵からはじまり、反応する場所が絞られ、名前がつけられ、治療法が生まれ、あとから経絡理論という器に乗ったという順番かもしれません。

最初は「ツボ」とか「穴」とか、できあがった認識ではなく、「身体のある場所を刺激すると、別のところで何かが起こる」という漠然とした原始的体験だったのでしょう。

こうした原始的な体験が蓄積され、それを整理するための器として経絡理論が育っていったのかもしれません。逆に言えば、経絡という共通の地図ができたことで、それまで個別に存在していた経験を、一つの体系の中に集積できるようになったとも考えられます。

経絡は、身体経験を共有するためのプラットフォームでもあった。

私には、そんな見方もできるように思えます。


馬王堆で発見された理論の原石


そう考えてから馬王堆の医学書を見ると、見え方が少し変わります。そこには十一の「脈」があります。しかし現在の十二経脈とは違います。現在のような経穴体系もありません。そして、脈はそれぞれ独立性が高く、後世のような全身を一周する循環系にはなっていません。

これは何を意味するのでしょうか。

私はここに、経絡理論がつくられていく途中を見ることができるのではないかと思っています。

 十一だったものが十二になる。
 独立していたものがつながる。
 臓腑との関係が整理される。
 経と絡が区別される。
 ツボとの関係も整理されていく。

そして最終的に、現在の私たちが「経絡」と呼んでいる壮大な身体の地図が出来上がっていく。そう考えると、経絡は古代の誰かが一度に発見したものではなさそうです。何世代もの人が身体を観察しながら、少しずつ書き足していった地図だったのではないでしょうか。


点と点があればつなぎたくなる


ここからは、さらに私の想像です。

身体のここを刺激すると、あそこが変わる。別の場所を刺激すると、また別の変化が起こる。

そんな経験が積み重なっていくわけです。すると人は、それらの点に何らかの関係があるのではないかと考え始めます。そして、点と点をつなぎたくなります。古代の人が星空を結んで星座をつくったように。

その結果として「脈」という線の概念が生まれたのか。あるいは「脈」という身体観と、刺激点の発見が別々に発達し、後になって統合されたのか。今のところ私にはわかりません。

正解がわからない話ですから、私以外の考えも紹介しておきましょう。

医師・鍼灸臨床家で、『黄帝内経』の研究でも知られる丸山昌朗氏(1917–1975)は、1961年の論説「その実在性について」で、「この経絡パターンの発見は鍼術を飛躍的に向上させた。 そうしてこのパター ンを骨子として、さらに当時の思潮であった陰陽五行説で肉づけして、人 体の病生理を体系だてたものがいわゆる経絡説である。以上のごとく経絡の発見は実験的事実によったものと推定される。」と述べています。


異常感覚が理論化された


丸山昌朗氏はこのようにも書いています。

「鍼を人体に刺せば響きと称せられる異常感覚が生じる。この感覚の走向が、経絡パター ンである。」

丸山氏の説に従えば、経絡パターンの出発点には、鍼によって生じる「響き」という身体現象があったことになります。これは私の「まず身体で起きる現象があり、それを後から理論化したのではないか」という考えと重なります。 ただし、丸山氏が「ツボが先だった」と主張しているわけではありません。そこは分けておく必要があります。

次回は「脈診」について考えてみたいと思います。
つづく…(3)見えない経絡をどうやって診たのか

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経絡はいつ生まれたのか(1) 見える「絡」と見えない「経」
公開:
要旨: 鍼灸を学んだことがある人なら「経絡」という言葉を知らない人はいないでしょう。経絡が全身をめぐっていて、その上にツボがある。肺経、胃経、膀胱経など、それぞれの経絡が臓腑とつながっている。 鍼灸を学ぶときには、完成された理論として教わります。ですから「経絡...
見える絡と見えない経

鍼灸を学んだことがある人なら「経絡」という言葉を知らない人はいないでしょう。経絡が全身をめぐっていて、その上にツボがある。肺経、胃経、膀胱経など、それぞれの経絡が臓腑とつながっている。

鍼灸を学ぶときには、完成された理論として教わります。ですから「経絡」という言葉を見ても疑問を持ちません。経絡は経絡です。何か問題でもあるのでしょうか。

でも、古典を読んでいると、ときどき引っかかることがあります。そもそも「経絡」は、最初から一つのものだったのでしょうか。今回は、この二文字をいったんバラバラにしてみようと思います。


『経絡論』を読んでみる


『黄帝内経・素問』には、まさにの篇があります。『経絡論篇』です。経絡について説明している篇と思いきや、冒頭から様子が変です。

黄帝がこんな質問をしています。
夫絡脈之見也、其五色各異、青黃赤白黑不同、其故何也?
 絡脈が見えるとき、その色が青、黄、赤、白、黒とそれぞれ違う。それはなぜなのか。

「絡脈」の話から始まります。「経」の説明からではありません。しかも色の話です。

 青、黄、赤、白、黒。

これらの色が指すものはいったい何か。古代の人には、現代人には見えない何かが見えていたのでしょうか。身体の周囲にあるオーラのようなものを見て、その色を判別していたのでしょうか。こんなふうに考えると東洋医学があやしくなります。

ここでも、いつもの通り「東洋医学って不思議」という先入観を持たず、普通に読んでいけばよいのです。ヒントを探しに出かけましょう。


見える脈と見えない脈


『霊枢』の『経脈篇』に、ちょうどよい文章があります。

雷公が黄帝に尋ねています。
 
何以知經脈之與絡脈異也?
 経脈と絡脈が異なることを、どうやって知るのか。

この質問そのものが興味深いのですが、黄帝の答えはもっと興味深いものです。
 
經脈者、常不可見也。
 経脈は、通常は見ることができない。

そして続けます。
 
脈之見者、皆絡脈也。
 見える脈は、みな絡脈である。

はっきり書いてあります。

 経脈は見えない。
 絡脈は見える。


この区別はかなり重要だと思います。

現在では「経絡が見える」という表現を耳にすることがあります。それがどのような体験を指しているのか、私にはわかりません。それを否定しようという話でもありません。ただ、『黄帝内経』に書かれている「経脈」の話をしているのであれば少し事情が違います。

古典自身が、
 
常不可見也
 通常は見ることができない

と言っているからです。

古代の医学というと、何となく神秘的な世界を想像してしまいます。でも、少なくともこの文章を書いた人は、自分たちが目で確認できるものと、確認できないものを区別していたことになります。では、見えるという「絡脈」は何なのでしょうか。


絡脈は本当に目で見ていた


続きを読んでみましょう。
 
其會皆見于外
 絡脈が会するところは、すべて外に見えるとあります。

さらに、
 
凡診絡脈、脈色青則寒且痛、赤則有熱。
 絡脈を診るとき、脈の色が青ければ寒や痛、赤ければ熱がある。

そして、もっと具体的な説明が続きます。
 
胃中寒、手魚之絡多青矣。
 胃の中に寒があるときは、手の魚際あたりの絡が青くなる。

 
胃中有熱、魚際絡赤。
 胃の中に熱があれば、魚際の絡が赤くなる。


ここまで読むと、だいぶ印象が変わってきていませんか。「色」という言葉だけを取り出すと、何か特殊な能力で見ていたものを想像する余地があります。

魚際(ツボ)

でも、魚際という具体的な場所まで指定して、「ここの絡を見なさい」、「青ければこう、 赤ければこう」と説明しています。しかも、そのあとには絡脈を刺して血を出す話まで続きます。かなり現実的です。

少なくともここでいう「絡脈の色」は、特殊な能力を持つ人だけが見える何かではなさそうです。身体の表面に現れて、目で観察できるものとして扱われています。もちろん、それを現代解剖学の血管と同じものだと言っているわけではありません。古典に書いてある範囲で言えば、絡脈は目で見えるということなのです。


もう一度『経絡論』に戻る


ここで最初の『経絡論』に戻ってみます。黄帝は、見えている絡脈の色がなぜ違うのかと尋ねました。
岐伯はこう答えています。

 
經有常色、而絡無常變也。
 経には常の色があり、絡には一定しない変化がある。


ここで注目したいのは、色そのものではありません。「経」と「絡」を分けて説明していることです。
さらに黄帝は、
 
絡之陰陽、亦應其經乎?
 絡の陰陽も、その経に応じるのか。

と尋ねています。

経があって絡がある。そして両者がどう関係するのかを話しています。私たちは「経絡」という一つの言葉で覚えていますから、つい一つのものとして読んでしまいます。でも、古典の文章をそのまま読んでみると、どうもそう単純ではありません。

ちなみに面白いことに、篇名は『経絡論』なのですが、本文には二字熟語としての「經絡」が一度も出てきません。出てくるのは、「経」「絡」「経脈」「絡脈」です。『経絡論』なのに、「経絡」という一つのものについて説明しているというより、経と絡の違いを説明しているように読めるのです。


絡から経へ入る


ヒントを探すために、もう一つ見に行きましょう。『素問・皮部論』には、邪が身体の中に入っていく様子が書かれています。
邪客於皮、則腠理開、開則邪入客於絡脈、絡脈滿、則注於經脈、經脈滿、則入舍於腑臟也。
ちょっと難しいので整理するとこうです。

 皮→絡脈→経脈→腑臓

という順番です。

ここでも、絡脈と経脈は同じものとして扱われていません。邪がまず絡脈に入り、そこから経脈へ入り、さらに腑臓へ進むという順序があります。

同じ『皮部論』には、
 
絡盛則入客於經
 邪が絡脈に満ちると、さらに奥の経脈へ入り込む。

という表現も繰り返し出てきます。

「絡から経へ入る」と書いていますので、少なくともこの文章を書いた人は、違う層として区別していたようです。


「経絡」という言葉をいったん忘れる


ここまで読んで、私は「経絡」という言葉が少し邪魔になってきました。もちろん、経絡という言葉を使うことが間違っているという話ではありません。現在の鍼灸を説明するには便利な言葉ですし、私も普通に使います。

問題は、古典を読むときです。私たちはすでに「経絡とはこういうものだ」という完成した知識を持っています。

だから、「経」と書いてあっても「絡」と書いてあっても、頭の中で勝手に「経絡」に変換してしまいます。それをやめてみると、「見えない経脈」と「見える絡脈」という違いが出てきます。

さらに「絡脈から経脈へ入る」という層が違うことを示唆しています。ここで「経脈とは何なのか」「絡脈とは何なのか」と定義したくなりますが、まだ早いです。

今回わかったのは、そこではありません。

古典を読むときには、「経絡」という一語をいったん「経」と「絡」に戻した方がよさそうです。

今のところは、ここまでの理解で十分でしょう。ここでさらなる疑問がわいてきます。経と絡があったとして、その前には何があったのでしょうか。さらに古い医学資料を探していくと、「経絡」どころか「十二経脈」もまだありません。

そこにあるのは「脈」です。

次回は、今から二千年以上前の墓から出てきた医学書まで、少し時間をさかのぼってみようと思います。

つづき…(2)ツボは経絡から生まれたのか

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第5部 昔の人は、なぜ病気を「邪気」と呼んだのか
公開:
要旨: 「あなたの中に邪気が入っています」 もし病院で医師からこんなことを言われたら、かなり驚くと思います。いっぽう鍼灸や東洋医学の世界では「邪気」という言葉が普通に使われています。でも、一般の人が「邪気」と聞いたらどうでしょうか。 何か目に見えない悪いエネル...
昔の人はなぜ病気を「邪気」と呼んだのか

「あなたの中に邪気が入っています」

もし病院で医師からこんなことを言われたら、かなり驚くと思います。いっぽう鍼灸や東洋医学の世界では「邪気」という言葉が普通に使われています。でも、一般の人が「邪気」と聞いたらどうでしょうか。

何か目に見えない悪いエネルギーが身体に入り込んでいる。そんなものを想像する人もいるでしょう。

東洋医学はあやしい。

そう思われてしまう原因の一つは、こうした用語にあるのではないかと思っています。実際、「邪気」という言葉は、かなりあやしい。いや、邪気そのものがあやしいと言っているのではありません。

「邪気」という日本語から受ける印象があやしいのです。

「邪」という字からは、邪悪、邪念、邪霊などを連想します。しかも実体がわからない「気」という文字が重なります。

いかにも目に見えない悪い何かが身体に入り込んでくるようです。では、二千年ほど前の医者たちは、本当にそんなことを考えていたのでしょうか。古典を読んでみると、どうも様子が違います。


邪気について書かれた篇


中国最古級の医学書である『黄帝内経』の『霊枢』に、「邪氣藏府病形」という篇があります。「第1部」から頻繁に登場する篇です。

よくよく考えたら名前がスゴすぎです。

邪気、臓腑、病形。

現代人から見るとあやしさたっぷりです。

この『黄帝内経』という本は黄帝が岐伯という医者に「〇〇とはなんぞや?」と尋ねる問答形式です。

黄帝が岐伯に尋ねます。

邪氣之中人也奈何?(邪気が人に中るとは、どういうことなのか。)

すると岐伯は、
邪氣之中人高也。(邪気が人に中るのは高いところである)

と答えます。

さらに、
身半以上者、邪中之也。身半已下者、濕中之也。
(身体の半分より上には邪が中り、半分より下には湿が中る)

と説明します。

この文章を読む時に大切なのは、何を観察しているのかです。身体のどこが外界の影響を受けやすいのか、という話をしています。


邪気はいつでも入ってくるわけではない


さらに読み進めると、もっと具体的になります。
中人也、方乘虛時、及新用力、若飲食汗出、腠理開而中於邪。
(邪が人に中るのは、身体の虚に乗じたときである。力を使った直後。飲食して汗が出ているとき。腠理が開いているとき)

そういうときに邪を受ける、と説明しています。「腠理」という聞き慣れない言葉が出てきます。皮膚や筋肉などのきめや間隙を表す古代の身体概念で、ここでは外からの影響を受ける身体表面の状態くらいに考えておけばよいでしょう。このように身体の状態と外部環境との関係を説明しようとしているのです。

この篇や『内経』全体で語られていることを、かなり大ざっぱに現代の日常感覚に引き寄せれば、こんな話です。

 疲れているときに体調を崩す。
 汗をかいたあとに身体を冷やして具合が悪くなる。
 寒い時期には特定の病気が増える。 
 湿度や季節によって体調が変わる。

そうだよね、という簡単な話です。現代に生きている私たちにも、経験的に理解できる話ですよね。タイトルが「邪気…」ですが、少なくともここで語られている中身はこんな感じです。私たちが「邪気」という言葉から想像するような、オカルト的な話とはかなり違います。


昔の人には原因が見えなかった


ここで少し、二千年前の世界を想像してみます。

当然ですが、当時の人には顕微鏡がありません。ウイルスも知りません。細菌も知りません。免疫細胞も知りません。自律神経もホルモンも知りません。でも、病気にはなりました。

 寒い日に体調を崩す人がいる。
 湿気の多い季節に調子が悪くなる人がいる。
 疲れていると病気になりやすい。
 同じ環境にいても病気になる人と、ならない人がいる。

原因そのものを見ることはできなくても、原因らしきものと身体に起こる変化との関係は見ることができます。そこで古代の医者たちは、身体に悪い影響を及ぼす働きを「邪」として捉え、その一つとして外界から受ける影響を説明しました。

ここで注意したいことがあります。「邪気とはウイルスのことだった」と言いたいわけではありません。そんな単純な置き換えをしたら、かえって古典から離れてしまいます。

 風、寒さ、湿気、環境、身体の状態。

いろいろな条件によって病気が起こる。それを当時の知識と言葉で説明しようとしたときに、「邪」という概念が必要だったのでしょう。


病気になるかどうかは「邪」だけでは決まらない


『邪氣藏府病形』を読んでいて、私はさらに面白いところに気がつきました。この篇は、外からやってくる邪だけを問題にしているわけではないのです。

こんな記述があります。
邪入於陰經、則其藏氣實、邪氣入而不能客。
(邪が陰経に入ってきても、藏の気が充実していれば、邪気はそこに「客」することができない。)
「客」というのは、そこに居着くということです。つまり、邪が入ってくれば必ず病気になる、という考えではありません。受け入れる身体の状態によって結果が違うのです。

これは現代の感覚でも理解できます。同じウイルスに曝露しても、全員が同じように発症するわけではありません。同じ寒さにさらされても、全員が体調を崩すわけではありません。もちろん、古代中国医学と現代の免疫学が同じことを説明しているわけではありません。

ここで重要なことは、外から何が来たのかだけではなく、それを受ける身体がどんな状態だったのかを観察していることです。


むしろ「脱オカルト」だったのではないか


「邪気」という言葉があるから、東洋医学はあやしく見える。ところが、古代中国医学の歴史をたどると、それ以前には病気を鬼神や祖先などの超自然的な存在と結びつけて考える疾病観もありました。

それに対して『黄帝内経』の世界では、病気を気候、環境、飲食、疲労、感情、身体の状態などとの関係から説明しようとする傾向が強くなっていきます。

つまり、

病気を超自然的な世界から、観察できる身体の世界へ引き戻そうとしていた。

そう考えることもできるのです。だとしたら、ちょっと皮肉です。現代の私たちは「邪気」という言葉を見て、「昔の人は目に見えない不思議な力を信じていたんだな」と思ってしまうわけです。でも、『黄帝内経』を読んでいると、むしろ逆方向を向いていたように見えるのです。

目に見えない神や霊のせいにするのではなく、

 どんなときに病気になるのか。
 身体のどこから影響を受けるのか。
 どんな人が病気になるのか。
 身体にはどんな変化が現れるのか。

そういうことを観察して、何とか説明しようとしていたのです。


古典を神秘化してしまう私たち


もう一つ考えたいことがあります。「邪気」を神秘的に感じているのは、一般の人だけではありません。鍼灸師の側でも、邪気という言葉を目に見えないエネルギーや精神世界と結びつけて説明することがあります。

そういう世界観そのものを否定するつもりはありません。そこに価値を感じる人がいてもよいと思います。ただ、それと『黄帝内経』を書いた人たちが何を説明しようとしていたのかは、いったん分けて考えた方がよいと思っています。

『邪氣藏府病形』に書いてあることは、具体的です。

 寒さ
 湿気
 汗
 疲労
 飲食
 身体の部位
 皮膚
 顔色
 脈

古代の医者たちは、目の前にいる人間をかなり細かく観察しています。

古典の言葉を守るということ


私は「邪気」という言葉を使うのをやめた方がよい、と言いたいわけではありません。

むしろ真正面から向き合うべきなのです。歪めてはいけません。

古典の言葉を大切にするのであれば、その言葉が本来どのような文脈で使われていたのかを丁寧に考える必要があります。古典を大切にするということは、古い言葉をそのまま唱えることではありません。その言葉を使って、当時の人が何を見ようとしていたのかを考えることです。

彼らには顕微鏡がありませんでした。細菌学も免疫学もありませんでした。それでも、目の前で起こる現象を観察し、病気が起こる仕組みを説明しようとしました。

その説明は、現代から見れば間違っているところも当然あるでしょう。でも、間違っていることと、あやしいことは同じではありません。

二千年前の人たちが、当時手に入る知識と観察から身体を理解しようとした。その痕跡が古典には残っています。だから私は、「邪気」という言葉を見たとき、そこに神秘を見るよりも、その向こう側にある古代の医者たちの観察を見たいと思っています。


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はじめての整動鍼(2026年9月27日)

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第4部 内臓の調子は背中に出る―「ツボが胃に効いている」をどうやって確かめる?
公開:
要旨: 「第3部 内臓につながるツボはどこにあるのか?」のつづき 古典は机上の空論ではない 前回は「合穴は内臓への入口となるツボではないか」というところまで話を進めました。古典を読んでそう解釈できたとしても、それだけでは机上の空論です。 私は臨床が本業ですから、...
内臓の調子は背中に出る

第3部 内臓につながるツボはどこにあるのか?」のつづき

古典は机上の空論ではない


前回は「合穴は内臓への入口となるツボではないか」というところまで話を進めました。古典を読んでそう解釈できたとしても、それだけでは机上の空論です。

私は臨床が本業ですから、古典に書いてあることが実際の身体で確認できるのか、ということが気になります。

たとえば、
胃合於三里(胃は三里に合す)

この文章が本当だとしましょう。では、足三里に鍼をしたとき、本当に胃に変化が起きたことをどうやって確認したらよいのでしょうか。胃は身体の中にあります。見ることもできませんし、直接触ることもできません。『黄帝内経』にはしっかりヒントが書かれています。


五臓は背中に現れる?


『霊枢』に『背腧篇』という篇があります。その冒頭で黄帝は、こんな質問をしています。
願聞五藏之腧、出於背者。(五臓の腧で、背に出るものについて聞きたい)

この質問に対して岐伯は、肺腧、心腧、肝腧、脾腧、腎腧など、五臓に対応する背中の腧を挙げていきます。現在の鍼灸師は、これらを背部兪穴と呼んでいます。

 肺なら肺兪。
 心なら心兪。
 肝なら肝兪。
 脾なら脾兪。
 腎なら腎兪。


ここでも、経絡を持ち出す必要はありません。古典に書いていないのであれば、ないまま読めばよいのです。

書いてあることだけを読めば、

 五臓 ― 背中の腧

という関係です。

五臓のツボで背中に反応か出るもの

ここで一つ問題があります。

私が確認したいのは「胃」です。胃は臓ではなく腑です。『背腧篇』で黄帝が尋ねているのは、あくまで「五藏之腧」です。ここに胃兪は出てきません。はたして「胃―胃兪」という関係まで広げてよいのでしょうか。

『素問・気府論』には、
五藏之俞各五,六府之俞各六

とあります。

六腑にも兪があると明記されています。六腑にも兪とは、胆兪・胃兪・三焦兪・大腸兪・小腸兪・膀胱兪のことです。あとは、実際にこれが成り立つかどうかですが、上記の通り問題ありません。


東洋医学の未解決問題


肺腧、心腧、肝腧、脾腧、腎腧などのおおよその位置を示したあと、
欲得而驗之、按其處、應在中而痛解、乃其腧也。
と記されています。

「欲得而驗之」は、ここでは「それらを確かめようとするなら」くらいに読んでおけばよいでしょう。「驗」は現在の「験」という字です。「驗(ため)す」と読みます。単に知識として確認するというより、実際に現れた徴候によって確かめるという意味があります。

では、何によって確かめるのでしょうか。

続けて、
按其處(その場所を按す)

そして、
應在中而痛解(?????)

とあります。なんですか、これ?
最後に、
乃其腧也(それがその腧である)

と結ばれます。

2番目の「應在中而痛解」は未解決のままです。


歴代の医家も読むのに苦労している


こういうときは、自分の都合のよいように解釈する前に、昔の人がどう読んできたのかを確認しておきたいところです。実際、この文章にはいくつかの解釈があります。明代の医家、馬蒔は『黄帝内経霊枢注証発微』で、
其中必應之,而内痛乃解

と説明しています。
「中」がこれに応じて、内の痛みが解けるという読みです。つまり、背部の腧を按すことで、身体内部の痛みが解けるという方向に解釈しています。
一方、清代の黄元御は『霊枢懸解』で、
應在於中而痛解

としたうえで、「解」を、
鬆懈

と説明しています。これは、ゆるむ、ほどけるという意味です。

このように、後世の医家も「應在中而痛解」の読み方に違いがあります。

 何が「應」するのか。
 どこの「痛」なのか。
 何が「解」けるのか。


簡単そうに見えて、よくわかりません。でも、確かなこともあります。
按其處(その場所を按す)

触診が必要なことです。


触ってみるとわかる変化


ここで思い出していただきたいのが、
胃合於三里(胃は三里に合す)

です。

一方、『背腧篇』では、
願聞五藏之腧、出於背者。

とあります。
五臓の腧は背に「出る」。
つまり、古典に書かれていることだけを並べると、

 足三里 ― 胃

という関係があって、もう一方に、

 臓 ― 背中の腧

という関係があります。

この二つをつなげてみると

 足三里 ― 胃 ― 胃兪

という関係が見えてきます。

実際に、足三里に鍼をすると胃兪の圧痛が解けます。ですから、私としては「應在中而痛解」の「痛解」は、背部の圧痛が消えると理解しています。

ただし、足三里の位置は正確でなければなりません。その正確さを示してくれるのは胃兪の変化です。胃兪の圧痛に変化を起こすことができる場所が、足三里の正しい位置と言うことができるのです。


「足三里は胃に効く」では不十分


私たち鍼灸師は知識として「胃経の合穴が足三里」と覚えることが多いのですが、これを丸暗記しただけでは臨床で役立ちません。「足三里は胃に効く」という程度の理解で止まってしまいます。漠然としているのです。しかし、胃兪の圧痛が変化すると理解すれば、触診でツボの効果を確かめることができます。

足三里に鍼をした応答を、患者さんも施術している鍼灸師も確認できるのです。圧痛の変化を共有すれば「鍼が効いた」という、実感を得られます。「この足三里というツボは、胃に効くツボと言われているんですよ~」とは天と地ほどの差があります。

私は「再現性」という言葉をよく使います。再現性のある鍼灸をしようと思うとき、観察対象が重要です。鍼で変化が起きても、その変化が観察しにくいものであれば再現の確認がとりにくいのです。「胃に効く」と認識してしまうと、観察がたいへんです。胃カメラか何かを使う必要があります。実際、そういう実験もあるようですが臨床ではそんなことできません。

そもそも、今回の話題は「内臓の変化は背中に出てきます」というものですから、それを利用することが鍼灸というものです。


物語として読むのではなく記号として解く


私は古典の専門家ではありません。臨床を主とする鍼灸師です。古典の読解は、いくつもの専門書を行ったり来たりしながら自分なりにやっているにすぎません。臨床の傍らですから、最初から最後まで通して読むことはできません。気になるところをその都度読んでいます。

偉そうなことを言える立場ではありませんし、何の権威もありません。一人の鍼灸師が目の前で起こる現象と古典の記載をすり合わせようともがいている姿だとご理解ください。

私の経験から言えるのは、古典を読むときは東洋思想や経絡理論に強く引っ張られやすいということです。最初は、東洋医学の入門書で概要を学び、古典を読むのはそれからになるからです。仕上がった世界観がフィルターになって、古典の中に物語を求めてしまうのです。

ここでは「合」を中心に読んできましたが、表現が簡略化されていて親切な文章とはいえません。心が温まるエピソードがあるわけでもなく、要点のみを淡々と述べているだけです。文学的要素はありません。だから、面白いと思って読んでいません。私が古典を読む理由は、現場で役に立つことがあるからです。

古典は文章としてではなく、記号の集まりだと思って読んでいます。読むというのは違うかもしれません。記号を拾っている感覚です。

物語と記号

古典はむずかしいです。鍼灸師なら読んで当たり前などと思っていません。読む時間があるなら他にやったほうがいいと思うことはたくさんあります。とはいえ、誰も古典を読まない世界はちょっと不安です。なぜなら、我流の鍼灸でも「古典に書いてある」と一言添えればそれらしく聞こえてしまうからです。

 東洋医学っぽいもの
 伝統がありそうなもの


こうしたものは古典から言葉を引っ張ってくれば簡単につくれてしまいます。私も気をつけたいと思います。次回も古典から学んでいきましょう。テーマは「邪気」です。それではまた。

つづく…昔の人は、なぜ病気を「邪気」と呼んだのか
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