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鍼灸師のツボ日記
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要旨 田舎の鍼灸師クリ助の臨床奮闘記 群馬と東京で鍼灸院を営む鍼灸師。ツボをこよなく愛し、鍼灸の魅力を語り始めると止まらない。
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技術の普及か、希薄化か―その境界線に立っている
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要旨: 「日本では、『鍼』は鍼灸師の専門分野」という記事において、理学療法士が鍼を使うことに対する懸念を書きました。驚くほどこの記事に反応がありました。 その中に、理学療法士がドライニードル(鍼)を使うことで「鍼灸の認知と価値が社会に広がる」という意見もありま...
技術の普及か希薄化か

「日本では、『鍼』は鍼灸師の専門分野」という記事において、理学療法士が鍼を使うことに対する懸念を書きました。驚くほどこの記事に反応がありました。

その中に、理学療法士がドライニードル(鍼)を使うことで「鍼灸の認知と価値が社会に広がる」という意見もあります。なるほど、たしかに一理あると思います。「広がる」ことが悪いとは思いません。むしろ、鍼灸師としては嬉しいことです。受療者を増やすことが業界の共通の願いですから。

ただ、それがどういう形で広がるかによっては、大切なものを失ってしまう可能性があると思うのです。私が思う懸念を共有させてください。

技術には「育つための環境」が必要


どんな技術にも、育つための環境があります。鍼灸師という国家資格があるのは、技術を独占するという権利を守る意味だけでありません。技術を保証し、育て、次世代に継承するためという目的があると思います。 職域というのは、守るための「壁」であると同時に、育てるための「土壌」でもあります。

「市場に任せればうまくいく」は本当か?──資格制度が守ってきたもの


「あん摩マッサージ指圧師」という免許があります。私も持っています。 本来、この免許がないとマッサージを行うことはできませんでしたが、今では誰でも「整体師」や「リラクゼーション」の看板で実質的にマッサージを提供できる時代になりました。

その結果、どうなったでしょうか。

高度な知識と修練を積んだ専門職と、数日間の講習を受けただけの施術者が、同じ土俵で価格競争をするようになったのです。しかも有資格者のみに広告制限がかけられます。

上手ければ資格なんて関係ない、と言う人がいます。確かに有資格者顔負けのテクニックを持つ無資格者はいます。規制を緩和させることで育つ才能があることも事実です。昨今の状況が、すでに規制緩和が上手く機能している証と考えている人もいるでしょう。ただ悲惨な事故が起きていることも見過ごせません。施術において最優先されるべきは「効果」ではなく「安全性」です。

正しいかどうかは市場が決めるという考えが正しいとするなら、消費者を守るには規制が必要という考えも正しいです。どちらが正しいとしても、鍼灸の受療率を上げるためには「安全性」を土台にすべきだと思っています。そこから「安心」とイメージを社会に届けたいと考えています。

鍼灸の「認知拡大」が意味すること──一度緩めた規制は戻らない


こうした視点から考えると、単純に「鍼灸が他職種にも使えるようになれば認知が広がる」「患者の利益になる」とは言いきれません。それが、たとえ解剖学的知識を有する理学療法士であっても、です。

鍼灸特有の細い鍼を扱うには、それに見合った技術が求められます。少ない痛みで施術するための配慮やテクニックも、鍼灸師が時間をかけて養ってきたものです。同等のものが、数日の研修で得られるとは到底思えません。
むしろ、「鍼は痛いもの」というイメージが先行してしまうことを、私は危惧しています。そうなると、市井の鍼灸師が長い時間をかけて培ってきた痛みに配慮した技術は何だったんだろう、ということになります。

そして何よりも、一度緩めてしまった規制は、元に戻すことができません。
制度の変更は、慎重の上に慎重を重ねるくらいでちょうどいいのだと思います。

育たなければ、残らない


本当に残すべきなのは「認知」ではなく、「再現できる技術」です。 鍼灸が他の医療と肩を並べていくためには、社会的に信頼される必要があります。 そのためには「誰が、どのように、どう学び、どう磨いているのか」が明示していくことではないでしょうか。

たとえば、ドライニードリングが数日の講習で保険適応の対象になる、という話がありました。本当にそれで、技術としての鍼は残るのでしょうか。 鍼灸師の多くが何年もかけて学んでいるものが、数日の講習で「同じ」と見なされてしまう。 それは技術の普及ではなく、簡略化と希薄化ではないか、と私は感じてしまいます。

最後に:広げる前に、支える土台を


私は、鍼灸がもっと多くの人にとって身近になってほしいと本気で思っています。 ただし、それは「誰でもできる」ものに下げることで得えも意味がありません。「誰に任せれば安心かが分かる」ということで実現すべきです。

鍼灸の認知と価値が社会に広がるためには、技術が育つ環境=制度的な支えが必要です。規制緩和の前に、制度設計と育成体制を整えることが、結果的にもっと多くの患者さんの利益になると信じています。

この話題はこれで終わりにします。


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日本では、「鍼」は鍼灸師の専門分野
公開:
要旨: 興味深い意見と出会いました。それは理学療法士の先生が書いた「理学療法士が鍼を使うのが世界的な流れなので日本でもそのようにした方が患者さんの利益になるのでは?」という意見です。 この意見の冒頭に「日本の鍼灸師の先生方を批判した記事ではありません。」と断りが...
鍼は鍼灸師の専門分野

興味深い意見と出会いました。それは理学療法士の先生が書いた「理学療法士が鍼を使うのが世界的な流れなので日本でもそのようにした方が患者さんの利益になるのでは?」という意見です。
この意見の冒頭に「日本の鍼灸師の先生方を批判した記事ではありません。」と断りが入っていますし、実際に読んでも批判された感じはありません。ただ、鍼灸師の立場からすると、一方的な気もするのです。理学療法士が鍼を使うことに対して「世界の流れ」で論を展開できるほど、シンプルな話ではありません。

こういう記事を書けば、理学療法士に仕事を奪われないために焦っている、と思う方も少なくないでしょう。そう思っていただいてもかまわないのですが、鍼灸師ってこんな存在として見られているのか、と思ったらアンサーしたくなってきました。どっちがすごいのか、などという生産性のない議論に火をつけたいわけではありません。

前置きはこれくらいにして本題に入っていこうと思いますが、その前に理学療法士の𠮷川光司先生が書いた記事にはどんなことが書かれていたのか、ChatGPTが吐き出した要約をご覧ください。

要約
「世界では理学療法士も鍼(ドライニードリング)を使って効果的な治療を行っているが、日本では制度上それが許されておらず、その制限が患者にとって不利益になっている。今こそ制度を見直し、患者中心の柔軟な医療提供体制を構築すべきだ」という主張です。

背景と論点の整理(補足)
・世界では当たり前:
カナダ、オーストラリア、イギリスなどでは理学療法士が鍼を用いた治療(ドライニードリング)を行っている。

・日本では制度上不可能:
理学療法士はどれだけ知識や技術があっても鍼は使えない。教育内容も不十分ではない。

・患者の不利益:
多様なアプローチが可能なはずなのに、制度の壁で治療の選択肢が狭まっている。

・必要な視点の転換:
資格の縄張りではなく、「患者にとって必要な治療とは何か」という視点で制度を見直すべき。

結論
鍼を含む理学療法の拡充は、医療者のためではなく「患者の利益のため」に必要である。世界の現状に学び、日本も柔軟に制度改革を進めるべきだ。

元記事:世界では、「鍼」も理学療法の専門分野


いかがでしょうか。それぞれの立場によって見え方が違うと思います。ここから私の意見を書いていこうと思います。一介の鍼灸師の所感と思って軽い気持ちで読んでいただければと思います。

独占業務資格の観点から


鍼灸師(はり師、きゅう師)は業務独占資格です。患者さんの利益のために、鍼灸師は業務独占権限を放棄せよ、という話です。私がどうこう言う前に、「患者のためになるなら、いいっすよ」といったい何人の鍼灸師が賛同するでしょうか。仮に放棄してほしいのであれば、免許を取るための時間と費用をどうやって補填するのか議論が必要になります。

あん摩マッサージ指圧は、すでに「整体」という業務形態によって実質的に独占業務権限を放棄させられている状態。免許が必要ない整体が合法とされている法的根拠は「職業選択の自由」という話もあります。残るお灸に関しても、家庭用のお灸が普及していることから、灸師としての存在以外が希薄化していると言わざるを得ません。つまり、業務独占資格として、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の3つの免許の独占権限は、各方面から脅かされている状況にあります。ちなみに、私はその3つを持っています。

鍼灸師は理学療法士に医学知識で劣るのか


𠮷川光司先生の記事には、ストレートな表現は避けていますが、理学療法士は鍼灸師と同等もしくはそれ以上の知識を有しているという内容のことが書かれています。これはカリキュラム上での話なので、個人個人を比べたらどうなのかわかりません。ですから、カリキュラムで比較するのが公平だと思います。私個人の意見になりますが、カリキュラムを比べると、理学療法士の方が医師との連携において有利だと思います。そもそもそういうふうに設計されたカリキュラムです。

逆に言えば、鍼灸師やあん摩マッサージは、開業権がある(理学療法士にはない)ことから、独立開業を前提としている免許です。誤解を恐れずにいえば、理学療法士は病院の中で働きやすい免許であり、鍼灸師は独立開業で能力を発揮しやすい免許です。鍼灸師の中にも、医療と連携していくためには理学療法士を見習わなければと、学校教育のカリキュラムの限界を唱える人がいます。確かに病院で働くことを前提とすれば、カリキュラムに改定を加える必要があるかもしれません。

鍼治療は必ずしも解剖学に依存しない


海外で始まった理学療法士の鍼がどのようなものか。ほとんどは物理療法の一種として扱われているはずです。医師と情報を共有するには、どうしても刺鍼部位が患部とその周辺に限られるからです。こうした方法を否定するつもりはありませんが、鍼灸の歴史から見たら、道具の使い方の一部でしかありません。鍼灸の醍醐味は、患部から離れた部位からアプローチできることにあります。情報伝達系を利用する方法の習得は一朝一夕にはいかないものです。

中国を発祥とする鍼灸医学。日本独特の学術は16世紀半ば(室町末期~安土桃山)です。この頃に活躍した医家として有名なのは曲直瀬道三(1507~1594)です。著作として『針灸集要』があります。江戸時代に入るとさらに盛んになっていきます。この辺の話は長くなるのでここまでにしますが、歴史の中で数多くの医家が生涯をかけて試行錯誤したものが現代の鍼灸師に託されています。

もちろん、解剖学的知識が不要という意味ではありません。言いたいのは、現在のような解剖学的知識がなかった時代でも、鍼灸は輝きを放っていたという事実です。そのことに目を向けることなく、解剖学の知識さえあれば鍼はできる、と考えるのは尚早ではないかと思います。

鍼は3日で習得できるのか


記事の中で特に気になったのが、3日程度の講習を受けることでドライニードリングを保険適応下で実施可能です。という記述です。海外の例ではありますが、これには驚きます。鍼灸師として「マジで!?」って思います。基本的な解剖学的な知識があるとはいえ、3日で習得できるという認識は「なめんなよ!」です。おっと失礼、感情的になってきました。

知識があるからといって、細い鍼を狙ったところに正確に当てられるわけではありません。自動車の構造と操作方法をよく知っているメカニックでも、レーシングドライバーと同じスピードでクルマを走らせることはできません。「クルマに詳しいからといって同じように走れると思うなよ」という感情に近いものが鍼灸師の中には芽生えてくるのです。

前提に違和感がある


この話、前提がおかしくはないかと思うのです。前述したように、日本では16世紀半ばから日本独自の鍼が展開されています。そして、あはき法(あん摩マッサージ指圧、はり師、きゅう師等に関する法律)が制定されたのが昭和22年(1947年)です。日本には何世紀にも渡って鍼灸を育ててきたという歴史があります。

これから鍼を導入しようという国とは事情が異なります。免許制度や教育機関がないのであれば、いずれかの専門職に権限を与えるという方向になるのは理解できます。しかし、もともと専門職がある日本において、理学療法士が鍼が使えないのは世界に遅れている、と主張する理由が見えてきません。遅れているのではなく、一步も二歩も進んでいると考えてもよいのではないでしょうか。

鍼灸をとりまく課題


医師との連携を前提とした場合、課題はあります。前述したように、医師の監視下で施術するという前提ではないため、独自の専門用語が数多くあります。共通言語に寄り添った学習が必要であることは間違いありません。もし、もっと患者さんに鍼治療を受ける機会を提供したいのであれば、鍼のスペシャリストである鍼灸師が医療機関と連携しやすくなるように制度を改定すべきでしょう。理学療法士が鍼を持つより患者さんの利益になるでしょう。

精神医療としての鍼灸


最後に付け加えておきたいことがあります。古来から鍼灸では肉体と精神を隔てなく扱おうとしてきました。鍼灸の古典的な理論も内臓と体表の関係を説いたものです(経絡学説)。昨今では、こうした鍼灸の特性から精神医療に活用しようという動きが盛んです。こうした事例からも、鍼灸は理学療法と分けておいた方が、それぞれの道を追求しやすいと考えることができます。日本の鍼灸はホスピタリティが高いと評価されることが多く、精神安定の場として利用されていることも知っておいてほしいことです。

ちょうど若手がクラファンやっています。頼まれていないけど勝手にリンク貼りました。
精神医療に鍼灸が活用されるための鍼灸院リストをHPで公開したい


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鍼灸院経営のゴールはどこにある?
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要旨: 目標は何店舗? 鍼灸院を開業する鍼灸師は、そのゴールをどこに置いているのだろうか。なぜ、こんなことを書くのかと言うと、「クリ助さんの目標ってなんですか?」と聞かれることもあるからです。 11年前、品川に2院目の鍼灸院(カポス)を開業したとき「目標は何店舗で...
鍼灸院経営のゴールはどこにある?


目標は何店舗?


鍼灸院を開業する鍼灸師は、そのゴールをどこに置いているのだろうか。なぜ、こんなことを書くのかと言うと、「クリ助さんの目標ってなんですか?」と聞かれることもあるからです。

11年前、品川に2院目の鍼灸院(カポス)を開業したとき「目標は何店舗ですか?」と何度も聞かれました。それからずっと群馬と品川の2院のままなので、満足していると思われているのか、私の器を見透かされているのかわかりませんが、最近では聞いてくれる人がいません。

ゴール設定をするとき、規模がわかりやすいのかなぁと思います。私個人の話をする前に周りの話をすると、規模拡大に関心が強い鍼灸師と、関心がない鍼灸師がいます。経営する側になると経営者として見られてしまうのですが、まずは鍼灸師という枠の中で考えてみたいと思います。

鍼灸師は免許でしかありませんから、所有する一人ひとりに生き方があります。医療を目指す人も、慰安を目指す人も、研究をしたい人も、教育をしたい人も、ビジネスとして割り切っている人も、趣味でやっている人も。

こういう話は、どうしても自分の立場から発するしかありませんので、私自身のことを語ろうと思います。クリ助はそんなふうに考えているのかぁ、とエンタメ感覚で読んでください。


夢とか野心とか


私が独立を決意したのは20代の半ば。鍼灸師になってからそれほど年数が経っていません。独立志向が強かったわけではないのです。独立したのは鍼灸をする環境をつくるためでした。もし、鍼灸ができる勤務先と出会っていれば、この頃に独立することはなかったでしょう。

将来の夢とか野心とか、そういうのではないのです。鍼灸しか頭にない青年が、鍼灸をしたいがために独立開業。鍼灸の免許を取ったのに鍼灸施術をできる職場がないという現実とただ向き合っていただけです。だから、年商〇〇億円とか、全国に◯◯院を展開なんていう、そういう話は眩しく感じます。鍼灸がしたい。それだけ。


貧乏してでも鍼灸


職場なんて選ばなければいくらでもある、と思うかもしれません。20年以上も前なので今とは事情がだいぶ違っています。鍼灸施術ができる就職先はほぼなく、あっても丁稚奉公のような弟子入り制度がたまにあるくらいで、それを就職と言ったら親を泣かせてしまいます。

行き場がないので、遠くを見つめてゴニョゴニョしていると、「マッサージやればいいのに」と頼んでもいないのにアドバイスをしてくれます。

現実はその通りで、マッサージの仕事はすぐに見つかります。ただし、免許もなく数日間の研修を受けただけの人と同じ立場です。専門学校を出た意味は…その前は大学も出ているし…とすべてが無駄になるように感じました。プライドの問題とか、そういうのではないのです。

傍から見れば、鍼灸もマッサージも同じです。免許が必要なのかも一般の人はわからないわけです。ただ、私には絶対に譲れないラインが鍼灸だったのです。贅沢なことは言いません。貧乏であっても鍼灸ができるなら、それでよかったのです。他に何もいりません。

鍼灸を職業にする、これが当初に描いていたゴールです。それってただのスタート、と思われるでしょうが、大真面目なゴールでした。私にとっては憧れの職業だったのです。当時の学校の入学倍率は10倍でしたしね。


がんばる方がラク


あれこれあって、今では鍼灸院を2つ経営するようになりました。セミナーも事業化しています。スタッフにも恵まれています。ゴールを通過した私は次のどこかに向かわなければなりません。私の中に二人の「わたし」がいます。食べて行けて満足しているわたし、もう一人は「こんなんで満足ってバカじゃね?」というわたしです。

この先でほしいものはなにか。正直にいえば、それを探しながら歩んでいるような感じです。家族を犠牲にして…とか、そういうテンションでは考えられない歳にもなりました。夜は寝なければ命がもちません。大げさではなくて。

睡眠時間を削ってブログを書いていた頃が懐かしいです。こんなジジ臭い言い回しをするつもりはないのですが、これも現実。がんばることよりも、がんばらないことが重要な年齢になってきました。

若い人には想像できないでしょう。がんばれないことが一番つらいのです。がんばる方が簡単です。本当ですよ。数を打って当たりを待てばよいのですから。


しごと趣味化計画


改めて自分自身を整理してみれば、鍼灸を仕事にしているのは鍼灸で財産を築きたいのではなく、他の職業に就いてしまったら鍼灸ができないからです。極論をいえば、鍼灸ができるなら仕事でなくてもかまわないのです。ただ、矛盾するようですが、仕事としてやってきたから、責任感や使命感を持ち続けて来られたのも事実です。仕事だからこそ到達できた完成度なんだと思います。

仕事と趣味の違い、それは誰が評価するかです。趣味であれば他人の評価は必要ありません。自己評価からの自己満足を回転させておけば成り立ちます。仕事はそうはいきません。評価は相手がするものだからです。

でも、思考が一周すると「相手の評価がすべて」というのは、寂しい気がするのです。自分が一番よいと思うことがもっとも評価される。自分が描く理想がお金になる。そんな状況に憧れがあるのです。

経営者であるくせに、◯年後に年商◯億みたいな目標はありません。売上はスタッフの収入に直結するのでスルーしてはいけない課題です。仕事ですから。

経営は仕事として相手の評価を一番に考え、鍼灸施術では自己評価も重視していきたいと考えています。経済的な基盤をきっちり整えた上で理想を追求するという意味です。スタッフの給与も上げたいですしね。



後継者のこと


私に後継者はいません。鍼灸院を誰かに託そう、セミナー業を誰かに託そう、と思っていません。一代で終わることになってもかまいません。むしろ後継者のことを考えるのはストレスです。継ぎたい人がいたら譲ります。

残したいものはあります。私が創案した整動鍼と、その整動鍼の臨床記録です。すでにセミナーで全国に鍼灸師に学んでいただいていますし、理論と実技はテキストと映像で記録され、臨床記録はツボネットに集めています。

年齢的に今がピークだと思われているかもしれませんが、自分では思っていません。ここ大事なところです。まだまだやれそうだという勘違いこそが原動力なのです。なので、もう少し盛り上げていこうと思っています。嬉しいことに、若い人たちと仕事をする機会が増えてきたので、エネルギーを吸い取るチャンスです。へっへっへ。



施設を大きくする計画


土地を買い足して鍼灸院の拡張計画が動き始めました。これは群馬の鍼灸院(養気院)の話です。現在はベッド4床ですが、2床を加えて6床にすることを考えてます。その一つは大きめの部屋にしようと思っています。それは、飛んだり跳ねたり、ラケットを振ったりと、その場で動いて変化を確かめられる空間です。プロを含むスポーツの愛好家に好まれるような鍼灸を提供したいのです。

鍼灸師になっていなかったら建築家になっていた、と思い込んでいるので気合いが入っています。楽しみすぎます。ブログをせっかく再開したので進捗状況をレポートします。ちなみに、土地はまだ手に入れていません。土地はまだない。



ウェブサイトを新しく


これも群馬の鍼灸院のことなのですが、ウェブサイトが古すぎて加齢臭がきつくなってきているので刷新します。未だにスマホ対応していないのですから伸びしろありすぎです。早く東京に追いつきます。力を抜いて楽しんでやろうと思います。





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誰かを特別扱いするということ
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要旨: 特別ではない側の気持ち 鍼灸院を経営する立場として気をつけていることの一つに「公平に対応する」があります。患者さんはそれぞれ症状が異なりますし、感受性も異なります。ですから、施術を画一的にすることはできません。使うツボは違いますし、鍼の数もそれぞれです。...
誰かを特別扱いするとうこと

特別ではない側の気持ち


鍼灸院を経営する立場として気をつけていることの一つに「公平に対応する」があります。患者さんはそれぞれ症状が異なりますし、感受性も異なります。ですから、施術を画一的にすることはできません。使うツボは違いますし、鍼の数もそれぞれです。むしろ、それぞれの方に合わせて変えることが必要です。

私が考える公平は別のところにあります。それは対応の中に「特別」をつくらないことです。特定の患者さんにしかできないことをしない、今日しかできないことをしない、ということです。やろうと思ったら、いつでも誰にでもできる範囲でサービスを組み立てるようにしています。

特別なサービスを受け取る人は嬉しいですし、提供した方も気持ちよくなれます。ただ、受け取れなかった人はどのように感じるのか、その時の気持ちを想像することも必要かと思います。

学生時代にさかのぼりますが、ある鍼灸の勉強会に同級生と一緒に行きました。受付のすぐ隣で書籍を販売していたので、思い切って購入しました。一緒に行った同級生も購入したばかりの書籍を手に持って隣に座りました。

「内緒で会員価格にしてもらっちゃった」

と嬉しそうでした。販売を担当していた人と知り合いだったことで割引してもらえたそうです。そのときの気持ちは今でも覚えています。

この購入に際して、私は1円も損をしていません。その価格に納得して購入したのですから。ただ、隣に同じものを安く購入した人がいただけのことなのです。実害はありません。それなのに損をしてしまったような気分なり、自分の存在までフツー確定のようで、もやもやした気持ちが残りました。私だって特別扱いをしてほしかったのです。

販売係をしていた方は悪い人ではないし人情味あふれる人だと思うのですが、それ以来、私は親しくなれる気がしなくなりました。私の心が狭いだけのことかもしれません。割引してもらった同級生に「安くしてもらえてよかったね」と言えるくらい広い心があったらと思います。

ただ、こういう気持ちになるのは私だけではないように思うのです。


キャンセル料は必要?


鍼灸院に話を戻します。あるスタッフに言われました。「鍼灸院なのだからキャンセル料は必要ないのでは?」と。人情を表に出した方が経営にもプラスでは?という意見です。ありがたい意見ではあるのですが、その意見はしまっておくことになりました。

実は開業して間もない頃は、心が痛むという理由でキャンセル料を設定していませんでした。今は、みなさん時間を守って通ってくださっているので、ドタキャンはほとんどありません。しかし、キャンセル料を設定していないときは、ドタキャンは日常茶飯事で連絡が来ないことも珍しくありませんでした。

「とりあえず、その時間を確保しておいてください」と、行けたら行きますという意味合いの仮予約的なものが起きてしまいます。来院されるかもしれない時間は他の患者さんをお断りする他ありません。仮予約であっても実質的に予約枠は削られます。

現在は、直前の変更やキャンセルに対してキャンセル料をいただいています。現状になってからは仮予約のようなものはゼロになりましたし、ドタキャンもありません。その代わり、こちらもしっかり予約時間に対応できるように時間管理も徹底しています。ときには時間前に、最大でも5分遅れで施術室に案内できるようにしています。

もし、予約を守らない人に守っている人と同じように対応する(=キャンセル料をいただかない)、というのは平等かもしれませんが公平感は失われると思うのです。守っている人が損をした気分にならないことが最優先な気がします。

強調しておきたいことは、キャンセル料はキャンセルする人へのペナルティではないということです。目的は、通院している方が気持ちよく通院する環境をつくるためです。

「キャンセルする場合はキャンセル料が必要」という設定をすることで、不公平感が生まれにくくなります。これが正解かどうかわかりませんが、少なくとも私が患者で通院する立場であれば、公平だと感じます。

キャンセル料を請求することを機械的で冷淡な対応だと思う人もいるでしょう。「人情はどこに忘れてきたんだ?」と言われるかもしれません。キャンセル料が必要なところには通いたくない、と考える人もいるでしょう。そう考えれば経営上のリスクになりますが、日時を守ってくださる方が不公平感を抱いてしまう方が無視できないリスクではないかと思います。

人間なら誰でも自分を特別扱いしてほしいと思います。受ける側に入れば特別は嬉しいのですが、その枠に入れなかったとき、何も失っていないのに何かを失ったような気分になります。

特別の裏に潜むリスクについて、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

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足底筋膜炎治療における新たな可能性
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要旨: 今回は、私が行っている取り組みについて紹介します。足底筋膜炎の治療は忘れるくらい前から行っているのですが、特別に思い始めたのは1年位前からです。「足底筋膜炎」と診断された人が、鍼治療でたちどころに改善していく様子を見ているうちに、この成果を埋もれさせてはい...
今回は、私が行っている取り組みについて紹介します。足底筋膜炎の治療は忘れるくらい前から行っているのですが、特別に思い始めたのは1年位前からです。「足底筋膜炎」と診断された人が、鍼治療でたちどころに改善していく様子を見ているうちに、この成果を埋もれさせてはいけないと思うようになりました。

鍼治療における足底筋膜炎へのアプローチはそれほど特別なものではないでしょう。私が声を上げるまでもなく鍼治療は効果的な治療法だと思います。あえてこの記事を書いているのは、私が従来型のアプローチではない方法を行っているからです。

足底筋膜炎の鍼治療と言って頭に思い浮かべるのは、足裏や足首など、痛みが出ているところは圧痛(押していたいところ)に鍼をしている光景ではないでしょうか。おそらく解剖学や機能解剖学に基づき行われるアプローチが一般的でしょう。または、経絡という概念を用いることで内臓の調子との関連を考慮しながら緩和させていく方法です。この場合は遠隔(患部から離れたところ)にある経穴(ツボ)を用います。

私が行っているのはどちらでもない方法で、新たな可能性を感じているものです。私だけが思っているだけでは、痛い人になってしまうので、できるだけ裏付けを示しながら紹介します。


足底筋膜炎の66症例


私のライフワークはツボと動きの関係を紐解くことです。整理したものを「整動鍼」と名付けてセミナーを通じて全国の鍼灸師と共有しています。時には海外からの要望にも応えています。最近では医師がセミナーを受講したりと嬉しいニュースもあります。

セミナーを行う上で重要だと思うのは、受講者の方々がそれぞれの現場で再現できることです。嬉しいことに「ツボネット」と呼ばれるウェブサイトに症例が集まってきています。

ツボネットでお悩みの症状を調べる


サイトにアクセスし「足底筋膜炎」と検索すると66件ヒットします。まだ66件とも言えますが、足底筋膜炎のみでこれだけの症例が自主的に集まってくることは、ちょっとした事件です。

足底筋膜炎の症例66


このサイトのよいところは、足底筋膜炎で使用されたツボがきちんとデータとして整理されていることです。症例を投稿するとシステムが自動的に統計データの中に入れてくれます。症例が投稿されるたびにアップデートされていきます。

論文に掲載された治療例から有効な治療法を学ぶ方法が一般的ですが、このサイトから有効なツボを知ることができます。もちろん、論文のような権威はありませんし、科学的な裏づけはありません。しかし、科学化の礎となる経験がここに蓄積されています。

ちなみに、足底筋膜炎以外の症例も多数あり、すべて合わせると3600症例を超えます。

足底筋膜炎に使用されたツボを見ると、患部周辺のツボが使われていないことに気がつくはずです。ツボ名をクリックするとツボの詳細(位置や効能)に飛ぶことができます。


機能解剖学では説明できない連動が無数にある


鍼灸院に訪れる患者さんの多くは、鍼灸師を最後の選択肢にしていることが多いです。つまり、あれこれやってもらったけど治らなかったという状況です。すでに患部周辺はアプローチ済みであることが多く、刺激の種類を鍼に置き換えたからといって成果が上がるとは限りません。

違った角度からアプローチすることで成果が得られることが多々あります。誤解を恐れずにいえば、患部にアプローチしてすぐに改善するものは程度が軽いものです。粘着性の高い症状を解消するためには、視野を広げる必要があります。それが、ツボと動きの関係です。

一見関係なさそうな2点に隠れたつながりがあるのです。解剖学や機能解剖学では説明ができない連動が無数にあります。経験則でしかない連動を症例の蓄積で確からしさを押し上げています。


半年前からの足底筋膜炎が瞬時に解決


ここで一つの症例を見ていただこうと思います。公開OKをいただいたデータと共に解説します。



半年前から痛みが出ている症状で整形外科で「足底筋膜炎」と診断された症状です。整形外科では痛み止めを処方されていました。患部は腫れぼったい感じがあり押すと痛みを感じます。

精密な足底圧計測を行ってみました(群馬の養気院に常設してあります)。

足底筋膜炎症例01_ソッカル

これは歩行時の足圧を計測したものです。連続して測定し平均を視覚化したものです。症状は右足ですが、体重は左に寄っています。赤くなっているところが圧の強いところです。なぜこうなっているのかは推測するしかないので(コンピューターは教えてくれません)、痛い右足に体重を乗せないように、このような癖がついたのかもしれません。

そこで、背中の右側にあるツボを使って右足の内側の緊張を解きました。こういう発想が整動鍼です。肩甲骨や背中の筋肉は重心の位置と高い相関があると考えています。実際、やってみたら次のように変化しました。

足底筋膜炎の症例02_ソッカル


重心が右に寄っています。むしろ、寄りすぎてしまったくらいです。背中のツボに鍼を一本しただけでこんだけ変化するので、インソールを作るときは気をつけなければなりません。体のコンディションで足圧が変化してしまうことは、インソールビジネスに関わる人は全員知っておいてほしいです。

すでにこの時点で一般的な思考と異なります。なぜなら、一般的には、土台である足が不安定だと全身に影響が出てしまうから…と足原因説が一般的です。ですからインソールを入れて腰痛や肩こりを解消しましょうというビジネスが成り立ちます。実は、この足圧の計測器もインソールと紐づいています。その意図に反して弊社ではインソール販売は行わず、インソールを考える前に相談してください、という立場を取っています。

話を戻します。この時点で患部のやわらかさが出ていて痛みが軽減しました。繰り返しになりますが、半年前から痛みがあったものが、患部から遠く離れた背中のツボを使ったら、その場で軽減してしまいました。体にはまだ知られていないこういう不思議な機構が宿っているのです。

次に右の肩甲骨の内側に硬結があったので、それを取ると次のようになって、さらに痛みが減ってほとんど感じないくらいまでになりました。

足底筋膜炎の症例03_ソッカル

左右差が激減したのがおわかりいただけるでしょうか。やっている私の方も不思議です。ここで強調しておきたいのは、痛みの強さとバランスの間には深い関係がありそうでしょ、ということです。ちゃんと患部も柔らかくなりました。バランスが整うと余計な緊張が解け、余計な緊張が解けると動きがよくなり、関節や筋肉の負担が減って痛みが軽減するという理屈です。

この施術は背中にした2本の鍼で終了しています。患部への刺激ではおそらくこのようにスピーディに解決することは難しいでしょう。離れたツボでも効くのではなく、離れたツボだから効くのです。片方に誰かのっているシーソーを動かそうと思ったら逆に行きますよね。その方が動かせるからです。体も同じでバランスを取り合う関係を利用すると調整が楽なのです。

気になるのはその後だと思います。一瞬で変化したものはすぐに戻ってしまうはず、と考える人が多いです。確かにすぐに戻る症状もあります。今回はどうだったでしょうか。一週間後の計測(施術前)がこちらです。

足底筋膜炎の症例04_ソッカル

ちゃんと右足に乗れています。というより右側に寄り過ぎています。痛みはほぼなかったそうです。もっとバランスよくならないかと思って右足のスネにあるツボに鍼を一本しました。そうすると次のようになりました。若干変わっていますね。この違いは微妙です。

足底筋膜炎の症例05_ソッカル

鍼灸の本質はツボにある


鍼灸の本質はツボにあります。どのツボを選ぶかが重要です。ツボに適切に刺激ができるなら鍼でなくてもよいです。とはいえ、ピンポイント刺激ができ、鍼以上に安価で安全なものは他にありません。現在のところ鍼が最強ツールだと思います。

でも、新規の患者さんは、鍼灸師の腕は患部に正確に鍼をする精度だと思っています。湿布を貼っても揉んでも治らないから、そこに鍼をしてもらったらどうだろうと、患部刺激の種類の一つとして捉えていることが多いです。

私は、鍼灸師にしか知り得ない体の仕組みをどれだけ知っているかが鍼灸師の価値を決めると考えています。鍼施術の精度や丁寧さはどうでもいいという意味ではありません。それを追求しながらも、鍼灸師ならではの視点を育てていくことが、鍼灸師が存在する意味ではないかと思うのです。

もし、「鍼灸が使えるのは鍼灸師だけ」と制度に気持ちが向かってしまうと、鍼に代わるピンポイント刺激が安価で安全にできる時代がやってきたとき、金属を体内に差し込むという嗜好の術と化してしまいます。


ピンポイントの刺激だからピンポイントの変化を拾える


鍼灸師にしか見えないものがあります。それはピンポイント刺激のあと、ピンポンとで生じる変化です。まだ体験したことがない人は、そういうものかと思って読んでください。ピンポイントというと、狭すぎて生じた変化を拾えないのではないかと思うかもしれません。実際は逆で、ピンポイントだからこそ、そこに穴が空いたように緩んだりするので、わかりやすいのです。

それを追うように観察していくと、体中に張り巡らされている張力を理解できるようになります。いったん解剖学から離れたほうがわかりやすいのです。知識はときに感性の純度を下げることがあるからです。

こういう方法で人体と向き合っていたら、足が張力の宝箱に見えてきたのです。全身の張力と足の張力が密接に関わっているのです。だからこそ、あの狭い面積で重心を巧みにコントロールできるのです。


新しいサービスとして展開予定


こうした取り組みから新しいサービスを展開しようと思っています。私がやろうとしていることは、従来の鍼灸のイメージと大きく異なります。鍼灸院の入口で想像されるものとは大きくズレて、すれ違いによる期待外れを招いてしまうおそれがあります。

足専門でやってきたわけでもないのに、専門を語るのはどうかと思うところもありますが、専門で勝負してもよいくらいのノウハウが蓄積できています。足底筋膜炎以外ではモートン病もたいへんよい成績が出ています。本格的に動き出す前に症例をできるだけ積み重ねていこうと思います。

足専門のコンディショニング「ソッカル」


足のことでお悩みならぜひご相談ください。ソッカルのクリ助がお待ちしています(^o^)v


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鍼灸師をやめるという選択
公開:
要旨: 鍼灸師の悲劇 こんにちは。氷河期世代の鍼灸師、クリ助です。悲劇というのはそこではなくて鍼灸師という名称がそもそも悲劇を生んでいるという話です。 いったいどういうことか、ほとんどの人が心当たりがないと思いますのできちんと説明します。鍼灸師の人も、鍼灸師でな...
鍼灸師をやめるという選択

鍼灸師の悲劇


こんにちは。氷河期世代の鍼灸師、クリ助です。悲劇というのはそこではなくて鍼灸師という名称がそもそも悲劇を生んでいるという話です。

いったいどういうことか、ほとんどの人が心当たりがないと思いますのできちんと説明します。鍼灸師の人も、鍼灸師でない人も耳を傾けてほしいです。

鍼灸師をやっているといろいろな人から言われます。「鍼灸って何に効くの?」と。すでに受けている方であっても、完全に理解していないと思います。実は鍼灸師の私たちでさえ全貌がわからないのです。

そう考えると美容鍼は革命的です。今では当たり前となっている美容鍼ですが、少し前まで顔のケアに鍼を使う鍼灸師はほとんどいませんでした。Googleのトレンドを調べてみると、美容鍼という言葉が認知され始めたのは2006年です。まだ20年経っていません。

私が開業した頃(2003年)は誰も美容鍼という用語を使っていませんでした。ある時現れて瞬く間に広がっていったのです。なんとなく生まれたものではなく、この分野を開拓するために仕掛けた鍼灸師がいるのです。美容鍼という用語が広まると同時に「私が最初です」という鍼灸師が次々と現れ、あっという間に春秋戦国時代に突入していきました。未だに統一されていません。



あの先生は、なぜ商標を取らなかったのかと後悔しているのか、それとも申請したけれど蹴られてしまったのか、想像を巡らせるのだけで精一杯です。いずれにしても、美容鍼が一気に普及したのは「美容鍼」という呼称が大きく関わっていたと考えるわけです。


鍼灸は道具の名称


鍼灸は道具の名称でしかありません。整備士をスパナ師というようなものです。

美容鍼は、この短い言葉の中に「美容に鍼はいいんだね」というメッセージが含まれるのです。きれいになりたい人が目をとめる理由ができているのです。

「鍼灸」という文字から頭に浮かぶのは痛そうな鍼と熱そうな灸です。ネガティブなイメージばかりで、ベネフィットが伝わりません。つまり、鍼灸師という肩書が相手に与える情報は「痛い鍼と熱い灸をする人」なわけです。

「そんなことはないです。ちゃんと興味を持ってもらえます。」と言われてしまうかもしれませんが、それはどこかでちゃんとベネフィットの情報を得ている人です。NHKで特集番組が組まれたあと、問い合わせが増えるのは(うちは増えませんが…)、ベネフィットを視聴者に伝えているからです。だんだんと鍼灸の効果が知られるようになり、この20年で状況は大きく変わってきました。

私が駆け出しの頃は、通院して症状が大幅に改善しているにも関わらず、医師から「鍼灸を受けるのをやめなさい」と言われて通院をやめてしまう人もいました。鍼灸は、まじないやオカルト的なものと認識されていたのだと思います。鍼灸師が国家資格であることを医師が知らない時代が長く続いていました。

最近では医師が鍼灸院に通院しますし、医師の紹介で患者さんがやってくることもあります。鍼の技術セミナーに医師が参加されたりと、本当に時代は変わりました。

改めて言いますが、鍼灸は道具の名称でしかありません。鍼灸師も使う道具を言っているだけの名称です。「こいつら何モンだ?アヤシイぞ」となるのは当然です。だから鍼灸師という呼称が嫌いなのです。でも、そう名乗るしかないのです。


鍼灸師のスキル


鍼灸師という呼称は、効果が伝わらないという他に、スキルに対しても大きな誤解を生んでいまいます。たとえば、「上手い鍼灸師は太い鍼を短時間でたくさん刺せる」というように、施術のボリュームが評価対象になってしまうのです。

私個人としては、鍼灸師の本質は「ツボの専門家」と思っていますから、いかにツボの効果を引き出せるかが鍼灸師の腕の差だと思っています。ですから、細くて柔らかい鍼を必要なところだけに絞り込んで行うことの方が重要です。

SNSで鍼灸師でもない人がツボの専門家を名乗って、根拠がどこにあるのかわからない情報(〇〇のツボは〇〇)を発信してバズっているのを見ると複雑な気持ちになります。


商業的な鍼灸


商業的というとイメージが悪いかもしれませんが、現実として患者さんが受けられるのはほぼ商業的な鍼灸です。商業的に成り立っている鍼灸院しか存在していませんから。

鍼灸師は国家免許が必要な医療系職業であるにも関わらず、医療制度から距離を置かれています。キレイゴトを並べても資本主義の海の中で泳げなければ溺れてしまいます。商業的な思考がなければ鍼灸院を経営できません。

だいぶ前ですが「あなたのブログも結局は商売が目的でしょ」と揶揄するようなコメントをいただいたことを思い出しました。揶揄されたところで全くその通りなので、

「はい、商売で書いています」

と返答するだけです。

このブログも仕事として書いています。原稿料をもらえるわけではないので、この記事がいつのタイミングで収入になるかわかりません。確かなのは「ブログを読みました」という人と数え切れないほど出会ってきたことです。ブログは出会いをもたらしてくれるのです。患者さんになったり、セミナーの受講者になったり、ビジネスパートナーになったり、いろいろです。

私が何者であるかを発信するツールがブログです。「鍼灸師」という肩書きでは伝わらないから、自分の説明をしています。SNSや動画が主流の時代になりましたが、やっぱり私にはブログが性に合っているようです。じっくり考えて時間をかけて書く。時間が経ってもあせない内容を心がけています。


鍼灸師をやめて成功する人


整体師と聞いてどういうイメージを持つでしょうか。考えるまでもなく「身体を整える専門家」ですよね。羨ましくて仕方ありません。免許を取るために学校に通う必要もなく国家試験を受けることもなく「身体を整える専門家」の称号を手に入れることができるからです。

私のところで症状が軽くなった人にこんなふうに言われたことがあります。「あとは整体に行って根本から治してもらった方がいいですよね」と。「どうしてですか?」と返すと、「鍼灸は痛みを一時的にごまかしているだけなので、根本的に治すには整体に行った方がいいいんですよね?」と戻ってきて驚きました。

こんなやり取りを経験すると、私たちは「鍼灸も使える整体師」と名乗った方がよいのではないかと冗談ではなく思ってきます。鍼灸によって体を整えているのですから、鍼灸師は全員整体師です。

まじめに言いますが、鍼灸師が行う鍼灸は、整体鍼もしくは整体灸です。

色々な人がいて、鍼灸師であるにも関わらず、整体師を名乗って活動している者もいます。「なんてもったいないことを」と思いますが、彼らにしてみれば、正しく認識されずに損が確定している鍼灸師を名乗る方がもったいないのでしょう。


鍼灸×〇〇


若い世代の鍼灸師からこのような表現が発信されることが増えました。鍼灸の枠にこだわらずに他のスキルと積極的に掛け合わせて鍼灸師の可能性を広げようということだろうと思います。つまり、〇〇を入口にして鍼灸のファンになってもらおうという戦略なわけです。それか単に鍼灸にこだわるのはダサいというだけかもしれません。

いずれにしても、鍼灸が正しく理解され、今後の発展を願うなら「鍼灸師」という呼称を克服していかなければならないのは確かです。

最後の手段は「◯◯」のみで勝負することです。この「〇〇」は「鍼灸」以外なら何でもよいのです。肩書きの上では鍼灸師をやめるのですから勇気が必要です。お金も時間もかけて取った免許をしまい込むのですから。

実は、私は「あん摩マッサージ指圧師」の免許を表に出していません。せっかく取ったけれど、表に出さない方が(私にとっては)得だろうと判断してそうしています。鍼灸師だけで十分です。いや、鍼師だけでも支障ないかもしれません。灸をすえる場面がやってきたら「ちゃんと免許はありますよ」と証拠を見せたら済む話ですから。

この考えを延長していくと鍼師もいらなくなってくるのです。極端ですか?

その方が鍼灸の可能性を引き出せるなら別にかまわないと本気で思っています。私のモチベーションは、ツボを通じて人体に潜む法則性を探ることにあるので、今の私にふさわしい肩書きが見つかれば乗り換えます。それまでは鍼灸師を名乗っていきますが。


ソッカル


一つの試みとして準備しているのが、足専門のコンディショニングです。これまで「足のトラブルにも鍼がいいですよ」と言ってきたわけですが、「痛いところに鍼をすることもできますよ」と、刺激の一種として鍼もお考えくださいというメッセージになってしまいます。実際は、足の痛いところに鍼をするわけではなく背中などのツボを使って足のアライメントを整えて、痛みを取るだけでなく、可動性を改善させていきます。

ベースとしているのは整動鍼です。「ツボと動きの関係」をコンセプトにした新しい理論です。この理論を使えば、足の動きを改善させることができます。鍼治療でも足の動きを改善できますよ、という回り道はしたくないのでサービス名をつくることにしました。

しばらくは鍼灸院の中でやっていくことになりますが、鍼灸院という箱でやる必要はありません。鍼灸院という箱を外すことによって「鍼灸にできること」の一つとして説明する必要がなくなります。ダイレクトに「足のコンディショニングができます」と伝えられます。幸いなことに私のチームには人材が豊富ですから、任せていける体制をつくっていく予定です。



先日、足のコンディショニングを表す「ソッカル」を商標登録申請をしました。一応、「足が軽くなる」という意味です。「即軽くなる」でもあります。

当面、鍼灸師という免許の呼称が変更になることはないでしょう。このままでも、情報発信によって鍼灸の効果を誰もが当たり前に知ることができる時代がやってくるかもしれません。本当はそんな未来の方が楽でよいのです。


ツボネット(鍼灸の症例検索サイト)


鍼灸の可能性を知る意味でアクセスしてほしいサイトがあります。ツボネットです。私のチームで運営しています。3500以上の症例が登録され、鍼灸が何に効果があるのか実際の症例から探ることができるようになっています。また、どのツボがどの症状に使われているのか、データとして蓄積されています。

ツボネット

現在、月に40万ほどのアクセスがあります。このサイトを見た方から予約をいただくので、優れた集客ツールにもなっています。1万症例を目標にがんばっています。

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骨盤矯正はなぜ悪役になるのか?
公開:
要旨: 骨盤矯正はなぜ悪役になるのか? 先日、仙腸関節に関するセミナーを開催しました。仙腸関節といえば骨盤にある関節で、骨盤といえば「骨盤の歪み」がよく話題になります。つまり、仙腸関節を学ぶことで、骨盤の歪みを正しく認識することができます。 「骨盤の歪み」は、世...
骨盤矯正はなぜ悪役になるのか

骨盤矯正はなぜ悪役になるのか?


先日、仙腸関節に関するセミナーを開催しました。仙腸関節といえば骨盤にある関節で、骨盤といえば「骨盤の歪み」がよく話題になります。つまり、仙腸関節を学ぶことで、骨盤の歪みを正しく認識することができます。

「骨盤の歪み」は、世間でよく使われる言葉です。私のところにやってくる患者さんも「骨盤が歪んでいるんです」とよく言われます。世間には骨盤の歪みに対する悩みが存在していて、骨盤矯正なるサービスが展開しています。

SNSなどでも「骨盤の歪み」はビッグワードで整体師(民間療法のセラピストなど)を中心に情報が発信されています。こうした状況に危惧を抱く整形外科医がパトロールをして「骨盤が歪むのは嘘です」と情報を上書きしようとしています。

人によって言っていることが違う、それが骨盤の歪みです。いったい何を信じたらよいのか、誰が正しいことを言っているのか、一般の方はわからないでしょうし、私たちのような体の専門家から見ても、混迷を極めています。

なぜ、このような状況が起きているのか、私なりに思うことろを書いてみます。


謎だらけの骨盤


いずれにせよ、骨盤の機能を正しく理解していることが前提になるのですが、困ったことに骨盤は謎に包まれています。特に仙腸関節の機能を理解するのが難解なのです。「仙腸関節はほとんど動かない」と考えれば、機能を考える必要がなく楽ができるのですが、そうはいきません。動きが小さいとしても、関節面があるれっきとした関節です。そして靭帯に覆われています。

どんな専門家でも、骨盤の機能を正しく理解しているとは限りません。これは医師であっても同じです。もし、医学の常識は歴史と共に上書きされてきたわけですから、正しさは普遍ではありません。私が信用する情報は「詳しくはわかっていないが」という前置きがある情報です。すべて分かったような説明ほど信用できないものはありません。

たとえば「骨盤は動かない」という情報。骨盤は3つの骨からできていて、3つの接続部があります。恥骨結合と左右に一つずつある仙腸関節です。接続部があるということは可動性を有するということです。ではなぜ「動かない」という立場を取る人がいるのでしょうか。主なものは、強靭な靭帯で関節が覆われているからという理由です。

骨盤の構造解説

関節を固定するということ


いったん話をズラしてテーピングを考えてみましょう。怪我をしたときに施されるテーピング。これは何のためでしょうか。目的の一つは関節の可動性を制限するためです。関節が動きすぎないようにテープで固定するのです。

この時に使われる「固定」は全く動かないことを意味するものではありません。ギプスで固定することとテープで固定することの感覚は全く違います。ぱっと見どちらも動いていません。しかし、その内容は全く異なります。関節の可動性を完全に奪うことと少し残しておくことは別物です。

関節の機能を考える上で、45度曲がるとか90度曲がるという角度の違いの前に、完全に動かないか少し動くかの違いを知ることが重要だと思うのです。この部分に触れず、骨盤が歪むかどうかを議論するのはナンセンスです。

骨盤を形成する3つの骨(寛骨×2、仙骨×1)の接続部である、恥骨結合も仙腸関節もわずかに動きます。このわずかな動きを無視して「動かない」と理解してしまうのはセンスに欠けると言わざるを得ません。こんなふうに考えずとも、関節周辺に多数の靭帯が存在している事実が十分すぎるくらいの動く証拠です。

関節を固定する(テーピングとギプス)

歪んでいるという感覚


数理的な計測で骨盤の歪みを確認できるかどうかという問題の前に、「骨盤が歪んでいる」という感覚をお持ちの方がいらっしゃることは事実です。感覚ですから客観性は担保できませんが、尊重すべきです。気の早い方は「だからといって骨盤が歪んでいる証拠とはならない」と突っ込みたい衝動にかられていると思いますが、もう少しお付き合いいただければと思います。

私たちのところにやってくる患者さんの悩みの多くは主観です。痛みも主観です。画像で原因が特定できない痛みはいくらでもあります。「原因がないので問題ありません」と言われても、痛みは消えません。現場で遭遇する患者さんの悩みは客観的事実で捉えられるとは限りません。

そもそも、患者さんは「痛い」「つらい」「苦しい」「心配」「不安」という主観的な理由で医療機関に行き、医療機関はその主観に対応する客観的事実を拾おうとして努めます。

このように考えると、患者さんが訴える「歪んでいる」という発言を無視するべきではありません。「歪んでいる」という感覚に真正面から向き合うことで気づきがあります。「歪んでいるはずがない」と一蹴することは、新しい見地の機会も一蹴していることになります。

体か?歪んて?いるという感覚

歪みと違和感


それでは歪みの感覚はどこから来るのでしょうか。これを考える上で重要なことは「歪み」という言葉が、体の状態を表現する用語として市民権を得ていることです。倦怠感を「だるい」と表現することに似ています。面倒くさい、やりたくないことに対しても使われています。「だるい」という言葉が文脈で意味が変わるように、「歪み」も文脈次第です。意味はその時々で決まります。

「歪み」の定義がないまま使われているわけですから、「骨盤の歪み」と言ったときに、それが何を意味しているのか医学的に説明することは困難です。こうした事情を踏まえると「骨盤の歪みってどういうこと?」という疑問は至極当然です。

腰部、臀部、股関節、など骨盤周辺に何らかの違和感が生じたとき、それを表現するときに「骨盤の歪み」という言葉がしっくり来るのでしょう。ある意味では「歪み」という言葉は感覚表現における発見であると言えます。

ここで重要なことは「骨盤の歪み」という言葉が医学的には定義されていない、定義できないということです。にも関わらず、「歪み」に対して医学的にもコンセンサスが得られていると思われている状況があるのです。

少なくとも「整体師」を名乗っている人は、その歪みの原因や矯正方法を知っていて対処してくれるもの、という思い込みが蔓延しているように思います。裏を返せば、いわゆる整体師を名乗る人たちも、各々が考える歪みに対処しているにすぎず、彼らの中に共通認識があるわけではありません。

骨盤の歪みは感覚表現の一つ


なぜ歪んでいると感じるのか


ここから一歩踏み込んで、なぜ歪みという表現がしっくり来るのか考えてみます。まず、痛みを感じたら「痛い」と表現します。腰が痛ければ、腰痛、脚の方に向かって放散する痛みがあれば坐骨神経痛などと言われることになります。少なくとも、私が知る限りでは強い痛みを感じている人は「歪み」という言葉を用いません。

前述したように、何らかの違和感を指して「歪み」と言うのです。以前に、「歪みを直してほしい」という依頼を受けたことがあります。「ここがこう歪んでいるから、こうしてほしい」という要望で、私が具体的に「どこか痛いところがありますか? どういうことでお困りですか?」と問うても「ここに歪みがあるので…」という返答で、会話の99%が「歪み」となってしまい収拾がつかなくなったことがあります。

お体を観察すると、動きにくい方向、取りにくい姿勢がある、ということがわかりました。顕著な左右差がありましたので、行き過ぎた左右差がなくなれば動きやすくなって、いろいろな姿勢が取れるようになり、歪んだ感覚から脱出できるのではないかと考えました。実際、そうすることで違和感が減る人が多いです。

ただ、現場はそんなに単純ではありません。すべての原因を「歪み」に求める人は、歪みに対する施術を求め続けます。直さないと健康になれないという強い思い込みがあります。明らかに、彼らの中には「歪み」の概念が存在しています。それが何であるか想像はできるものの、医学的に説明できるものでもありません。

では、その概念はどこからやってくるのでしょうか。

体の歪みを直せますか


骨盤矯正というビジネス


「骨盤矯正」という施術が存在します。大なり小なり、その根幹には骨盤の歪みが症状を生み出しているという考え方があります。

その方法は多種多様で中身を見なければ何とも言えません。「骨盤矯正」というだけで肯定も否定もできません。個人的に懸念しているのは行き過ぎた思想や価値観です。

何でも骨盤で治る、何でも骨盤が原因であるというのは摂理として不自然です。骨盤にアプローチすることで改善する症状もあると考えるのがちょうどよいでしょう。ただし、前述した通り骨盤矯正は多種多様ですし、言い方を変えれば玉石混交です。ですから、標榜している人がどれほどの知識や技術を持っているのかわかりません。

ここで「矯正」という言葉に注目してみましょう。よく目にするのは歯列矯正です。歯並びをそろえるわけですが、どういう歯並びが正しいのか、その目標となる並び方をきっちり設定します。であるならば、骨盤矯正もあるべき状態がきっちり設定されていないと成立しません。

誰でも同じ状態が目標となるのか、人によって目標が異なるのか、右利き左利きの違いを考慮する必要があるのかなどと考えが浮かんできます。

骨盤矯正ヒ?シ?ネス

骨盤自体の歪み、骨盤周辺の歪み


確かに、人の骨盤は歪んで見えることがあります。左右非対称であったり前後の傾きが強かったりと。たとえば、中殿筋という股関節の側面についている筋肉の筋力が十分に発揮できないとき、トレンデレンブルグ徴候という変化が生じます。これは、健側(問題ない側)の骨盤が下がるというものです。骨盤自体の形状が変わっているわけではなく、骨盤が傾いている状態です。このトレンデレンブルグ徴候は、もっとも有名な骨盤の傾きを示すサインですが、この他にも骨盤自体の形状が変化せずとも、骨盤が傾く現象は見られます。

骨盤は、上は腰椎、下は股関節と接続していますから、上からも下からも影響を受けます。これを骨盤の歪みと表現するかしないか、どちらのケースもあるわけですが医学的なルールは存在しません。

次に、骨盤自体の歪みについて考えてみましょう。「仙腸関節は動かない」と考える人にとっては「歪むはずがない」というのが結論ですが、ここでは「わずかでも動くなら骨盤の形状は変わる」という立場を取ります。

仙腸関節面の動きがわずかであっても、末端である腸骨稜の変動はそれよりも大きくなります。その動きに偏りが生じたとき歪みと言えるのではないでしょうか。ただし、仙腸関節の動きが並進(スライド)運動であると考えている場合は成り立ちません。並進運動では、仙腸関節における変化が末端で拡大するわけではないからです。私の手元にある専門書では、当然のように並進であるかのように書かれているのですが、この常識は疑わないといけません。吉岡一貴先生は、論文『仙腸関節の研究 -動きの解析と歪みのメカニズムに関する考察-』の中で次のように述べています。

これまでの理論では仙骨はうなずき運動の際に、特定の軸を中心として回転運動、もしくは関節上の軸に沿った直線的な並進運動を起こすと考えられてきた。これらの動きは、仙腸関節の関節面が平面であればその理解はたやすい。しかし、実際の関節面は凹凸が大きく、その面同士が並進運動をするようには到底思えない。


冒頭で書いたセミナーは、この論文を書いた吉岡先生をゲストに招いた行ったものです。従来の理論にとらわれている限り、骨盤自体の歪みを理解することはできません。この理論をこの記事の中で解説すると長くなってしまうので、興味のある方は論文にアクセスしてください。

私は、いろいろな仙腸関節の理論がある中で吉岡先生が提唱した理論がもっとも確からしいと考えています。関節面が凹凸なのだから並進運動するはずがないというのは納得です。もちろん、これに異を唱える人もいるでしょう。ただし、その場合は吉岡先生の理論を否定するだけの材料を持ち込んでください。生半可な気持ちで挑むと怪我をします。

わす?かな動きて?も末端て?は大きく見える


骨盤矯正はなぜ悪役になるのか?


この記事のメインテーマとなる問題。一言で言ってしまえば、骨盤の動きを正しく理解せずサービスを実施している例があまりにも多いからです。「仙腸関節は動かない」という立場からは当然おかしいわけですが、仙腸関節は動くという立場からしても「本当にわかっているのだろうか?」と疑問を持つようなものがあまりにも多いのです。

「骨盤矯正やっています」

と標榜している人はすべてを理解しているのだろうと思ってしまいがちですが、現実は大きく乖離しています。医学的知識をほとんどもたない整体師が見様見真似で行っているケースは珍しくありません。そういうものに対して異を唱えたくなる気持ちはわかります。ただ、そのいっぽうで「骨盤の歪み」を悩みとする人が多いのも事実で、その受け皿として機能している現実があります。

ひねくれた見方をすれば、「骨盤の歪み」という悩みを生み出しているのは骨盤矯正というサービスです。そのような言葉がなければ、そもそも矯正の対象になりません。「骨盤は矯正する必要がある」という意識が世間に浸透すれば、新しいマーケットが生まれます。こうした状況に対して「わざわざ必要がないサービスを売りつけている」と考える医療関係者が出現するのは当然です。

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骨盤矯正は必要なのか?


矯正するには正しさの設定が必要になります。こういう状態が正しいと設定し、そこに向けて調整していくわけです。正しい骨盤の状態が健康をもたらすという考えなわけですが、正しい位置とはなんでしょうか。多くの場合、左右対称を理想として左右差を取ろうとするのですが、左右差が取れたから健康になるとは限りません。左右差があっても健康な人はいくらでもいますし、そもそも左右が完全に対称な人などいません。

つまり、本来的に人体には左右差が存在します。その左右差はネガティブなものでしょうか。もし、ネガティブなら右利き左利きという左右差はどう解釈すればよいのでしょうか。左右差が悪いという考え方があるならば、いっぽうで左右差には機能的な意味があるという考えもあります。



自然界には、不思議な左右があります。たとえばシオマネキというカニ。オスは片方のハサミが大きいのです。右が大きい個体がほとんどだそうです。ハサミが大きい方が利き手(ハサミ)かどうかはわかりませんが、ヒトは右利きが約9割。ヒトは右手が大きいわけではありませんが、似ていると言えば似ています。仮に左右差がよくないというのであれば、シオマネキはみな不健康ということになってしまいます。

ヒラメやカレイは左右非対称で有名な魚です。もちろん、ヒトと単純に比較することはできません。ただ、正常範囲で左右差がある動物がいるのだから、左右非対称には意味があると考えるべきです。

参考)内臓の左右非対称を制御するノダル経路によるヒラメ・カレイ類の眼位制御機構
   
人間はヒラメやカレイと違ってほぼ左右差がない動物ですから、左右差はNGと考えるのもありですし、左右差には機能的な意味が潜んでいる可能性があると考えるのもOKです。

骨盤矯正が必要かどうか、その結論を出す前に考えてほしいことがあります。それは、骨盤の動きの問題です。


骨盤の動き


骨盤には2つの仙腸関節がありますが、この関節は小さな範囲ですが動きます。左右対称かどうかを考える以前に、この可能性がもっとも重要であると考えています。なぜなら、この可動性が悪ければ関節の機能が低下していることを意味していますし、左右差を整えようと思っても動かなければできないからです。

どのみち、仙腸関節が本来の可動性を発揮していることが大切です。矯正が正しいかどうかは意見が分かれても、可動性を確保しておくことのメリットは否定できません。ですから、私は可動性を重視するようにしています。ただ、仙腸関節は関節の動きがとても小さいため、肩関節のように簡単に比較できません。

ここから先を書こうと思うと技法的な話にならざるを得ず、個人的な考えが主体となります。今回のテーマは「骨盤矯正はなぜ悪役になるのか?」ですので、この辺でまとめに入っていこうと思います。

仙腸関節の運動(吉岡一貴)
<吉岡一貴先生の講義(仙腸関節塾)資料より許可を得て掲載>

参考論文まとめ)
仙腸関節の研究 -動きの解析と歪みのメカニズムに関する考察-(吉岡一貴)
仙腸関節の機能的左右差の関する考察 -新たな検査法の提案とその解釈について-(吉岡一貴)


医学とビジネス


結局は、骨盤矯正が悪徳ビジネスかどうかという話なのです。一部の医師は悪徳ビジネスを撲滅しようと活動をしていますし、私と同じ鍼灸師でもそうした医師と同じ側に立って非難している人もいます。骨盤にある仙腸関節の機能についてはわからないことばかりで、勇気を持って言えば、医師の言っていることがぜんぶ正しいわけではありません(医師が間違っているという意味でもありません)。立場でも発言の角度が変わりますし、医学的な正しさは時代と共に変わっています。

それぞれの立場から慎重に考えるべきです。医学的な側面だけで批評しても本質が見えてきません。ビジネスの側面から、どういう背景からニーズが生まれているのかを考える視野の広さが大切ではないでしょうか。すでに述べたように骨盤矯正というサービスは玉石混交です。具体的に何が玉で何が石かの話はデリケートな内容になるので避けておきます。行ってみて受けてみなければわかりません。


「矯正」から「動きの調整」


私個人の考え方を軽く示しておきます。私は「矯正」という考え方を持っていません。歯科矯正の例で示した通り、矯正には正しさの設定が必要です。しかし、私にはあるべき正しさを形状から判断できません。真っ直ぐなように見えて調子が良くない人、曲がっているように見えても調子がよい人、形状だけでコンディションの良し悪しはわかりません。

ただ、動きを見ればわかることがあります。当然ながら、ぎこちない動きはよくありません。誰が見てもわかるように腰痛の方の腰の動きはよくありません。

「痛いから動かないのだ」と反論したくなるかもしれません。考えてみてください。動きがスムーズな腰の人が突然痛みを訴えるでしょうか。腰痛の人は痛くなる前から、動きの中にぎこちなさがあります。スムーズに動ける範囲が狭くなっていて、それが逸脱したときに痛みとなります。このように、もともと「動きに問題があった」と考えることもできます。

そして、このように考えると動きの中から問題を探せます。動きづらい方向性や苦手な姿勢を探すだけでよいので、誰でもわかりますし客観性も担保できます。

私は「整動」と表現しています。動きを滑らかにしていくと痛みの多くが軽減します。痛みのあるところに鍼や灸をするのではなく、動きを制限している緊張を対象としてます。すると、動きがスムーズになるので、筋肉や関節の負荷が減ります。痛みが取れるだけでなく、よい状態が長く続きます。アスリートであればパフォーマンスが向上します。

また、姿勢は動きの一瞬を切り抜いたものですから、動きがよくなると姿勢までよくなります。


動きとツボの関係


これまで、ツボは体内の流れを整えるために使われてきました。臨床に長く携わっていると、ツボに鍼をした瞬間に、関節の可動性が良くなることを目にします。関連性がわからずに「なぜ?」と思うこともあります。動きとツボの関係を説明する理論がないため、そういう現象は鍼灸師の個人的な体験の中におさまって、その鍼灸師の人生と共に消えてしまいます。

もったいなさすぎる、ということで始めたのが「整動鍼」です。刺鍼で変化した動きをつぶさに記録しつづけることで、昔から知られているツボに動きを整える効果があることがわかってきました。それを整理して生まれたのが整動鍼です。今回の話題となった仙腸関節も対象にしています。仙腸関節に直接刺鍼をするのではなく、仙腸関節と連動しているでろう部位にアプローチします。ここから先は込み入った話になりますし、今回の本題から外れるので別の機会にします。

動きは緊張の連鎖か?生み出している

良くわかっていないから何でも言えてしまう


気合を入れて書いていたら、ずいぶんと長くなってしまいました。何篇かに分けて投稿することも考えましたが、一気に読んでいただいた方が伝えたいことが伝わるだろうと思い、「なげーぞ」という声を無視して書き続けました。この文章はいろいろな立場の方が読まれると思います。公平な文章を心がけながらも、結局のところ私の目線となってしまいます。最後の「動き」の話など、完全に私の得意分野の話です。

仙腸関節(骨盤)の師である吉岡先生は、仙腸関節の分析に人並み外れた才を示しているにも関わらず「仙腸関節はわかっていない」と必ず前置きします。学術に対する真摯な態度があるから信用できます。

私も見習って、自分がわかる話しかしないようにしています。わからないことは「わからない」と言うようにしています。「たぶん、そうだろう」と思うことは仮説として伝えています。

何でもわかったように語る人は怪しいと思ったほうがよいです。よくわかっていないから骨盤だから何でもアリになっている傾向は私も危惧するところです。スピリチュアルな話と結びついているものはとりわけ注意が必要です。

骨盤とスヒ?リチュアル


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コミュニケーション能力を高めると上手くいく
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要旨: 本日のコミュニケーション セミナーにご参加のみなさま、ありがとうございました!本日のレポートは改めてします。 pic.twitter.com/WGf7iH786o— 整動協会@鍼灸師のための臨床研究会 (@seido_office) June 30, 2024 テツ先生 6月30日、松浦哲也先生(以下、テツ先生)との...


テツ先生


6月30日、松浦哲也先生(以下、テツ先生)とのコラボセミナーを行いました。ものすごく刺激的な一日でしたので、振り返ってみようと思います。

出会いはX(旧ツイッター)でした。そのときの様子をこのブログで書いたと思うのですが、どの記事だかわからなくなってしまいました。

とにかく最初は意見の相違。「見ているものが違うんだな、この人」と思いました。普通は意見が合わない人は避けるものですが、彼は違いました。違うことを言う私に興味を示したのか、絡まれるようになりました。

絡んだときにどう対応するかで人を判断している。私にはそう見えました。要するに反応を試しているのです。嫌われる覚悟がなければできないことですから、それを安々とこなしているテツ先生に私も興味を持つようになりました。

実際に何度か会って底に眠っている能力のようなものが見えてきました。それは類まれなコミュニケーション能力。生まれ持ってのものなのか、どこかで研鑽してきたものなのか、どうであれスゴイものです。私には備わっていません。というより、もともとコミュニケーション能力には劣等感を抱いていた人間です。

今になっても苦手意識は奥底にあります。だからこそ、コミュニケーション能力が高い人と一緒に仕事をしたいと考えています。

高いコミュニケーション能力を武器に他分野で大きな成果を上げてきたテツ先生。いっぽう、コミュニケーション能力の弱さを補う工夫をしてきた私。この2つが合わさったらすごく面白いと思ったのです。


なぜコミュニケーションなのか


説明するまでもなく、コミュニケーション能力が高い鍼灸師が上手くいくのです。逆に言えば、コミュニケーション能力が低すぎると何をやっても上手くいきません。鍼灸というものが患者さんと情報交換をしながら行う双方向型のサービスだからです。コミュニケーション能力が核となっています。表現の仕方は違いますが、テツ先生も私と同じようにコミュニケーション能力を重視しています。

鍼灸師としては、どの流派で勉強すればいいのか、どの本を読めばいいのか、どんな知識から身につけたらいいのか、と考えるわけですが、私はコミュニケーションを学ぶことが一番ではないかと考えています。

コミュニケーションというと、会話を盛り上げなければいけないと考える人がとても多く「私はそういうのは苦手で…」なんて言われます。いやいや、そうじゃなくて、コミュニケーションは、相手に自分の話を聞かせることではありません。

テツ先生は「相手に気持ちよくなってもらうこと」と定義していましたし、私は「安心をつくること」と定義していました。それぞれの定義の角度の違いが、そのまま内容の違いになっていました。


セミナー始まる


打ち合わせでは、意見のすり合わせをせず、互いの「これだ!」と思うものを吐き出しました。テツ先生の話は私も勉強になりました。テツ先生自身のコミュニケーション能力は名人芸ですぐに真似できるものではありません。この日は、誰でも真似できる基本を伝授していただきました。コミュニケーションの本質は「相手を知ろうとする姿勢」だと私は感じました。

コミュニケーションセミナー_01(整動協会)

いっぽうの私は「安心をつくること」がテーマ。「不安を取り除く」ための言動とは何かに注目しました。鍼灸師は、患者さんから見れば得体の知れない怖い存在であるという前提で、その怖さを取り除くためには、どのような言動が必要になるのかを実技の中で学んでいただきました。言葉で不安を取り除こうとするのではなく、体や手の使い方だけでもできることがあることを伝えました。

コミュニケーションセミナー_02(整動協会)


信用と信頼


真面目に誠意をもって患者さんと接していれば自ずと信用を得られ信頼関係を築いていける、というほどあまくありません。具体的に何をするかがわかっていないと気持ちが空回りしてしまいます。相手に届けなければ意味がありません。つまるところ、今回のコミュニケーションはどうやって信用を積み重ね、信頼関係をつくっていくのかという具体的な方法でした。近道はありません。上っ面なものはすぐに剥がれてしまいます。

「患者目線で考えましょう」と成功者は語ります。もちろん、それは大事です。同じくらい大事なのは、患者さんの目にどう映っているのかを想像することだと思うのです。患者さん一人ひとり感じることは違いますが、「これイヤだな」と思うことは共通していることが多いものです。

キャラを磨き上げ上げて唯一無二の鍼灸師を目指すのもよいでしょう。しかし、その前にNGを押さえておかないと、受け入れてもらえません。このセミナーを準備するにあたって、私自身も我が身を振り返って考える機会となりました。

実技はやればやるほど学びが深くなるので、もっと練習する時間があってもよかったなぁと思いました。次回は決まっていませんが、またこういう機会をつくっていけたらと思います。


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失敗が許される条件
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要旨: 失敗は誰だって怖い 昨日、鍼灸師のための英語レッスン「AcuEigo(アキュエイゴ)」をセラピストイングリッシュの宮口一誠先生と共同開催しました。うちのチームもレッスンに参加し、英語力の向上にかなり役立ちました。仮に英語がある程度できても鍼灸の現場にふさわしい...
失敗が許される条件

失敗は誰だって怖い


昨日、鍼灸師のための英語レッスン「AcuEigo(アキュエイゴ)」をセラピストイングリッシュの宮口一誠先生と共同開催しました。うちのチームもレッスンに参加し、英語力の向上にかなり役立ちました。仮に英語がある程度できても鍼灸の現場にふさわしい表現ができるとは限りません。

今回は「超初級編」という設定で、まだ英語を使ったことがない鍼灸師が対象でした。英語に限りませんが、何事も最初の一歩が肝心ですよね。最初の印象がよいと続けやすいです。「失敗を怖れるな」なんて言う人がいますが、失敗は誰だって怖いものです。

再起不能な失敗をしたら取り返しがつきません。失敗というものは、失敗をしても大丈夫な環境があるからできると思うのです。

つまりは、失敗が許される環境があることが成長には重要ってことです。

本番で失敗するわけにはいきませんから、失敗が許される環境を意図的につくる取り組みが必要です。

もっとこうした方がいいと言ってくれる患者さんはいませんから(黙って来なくなるだけです)、ですから私たち自身で気がつける仕組みが必要です。

社内では、互いに施術して感想をフィードバックしています。私が一人鍼灸院をやめてチームをつくったのは成長のためです。私自身の成長のためでもあるし、迎えるメンバーの成長のためでもあります。


実力をさらす勇気


鍼灸院のほかにセミナー事業を営んでいますが、目的の一つは仲間づくりです。セミナーに参加する鍼灸師同士が仲良くなってつながっていくのが楽しいです。

こちらにできることは限りがありますが、セミナーのあと無料で参加できる交流会を行っています。そこで仲良くなった人が地元で勉強会(復習会)を催したりする光景が見られます。

うちのセミナーに限らず勉強会に参加する鍼灸師を尊敬しています。実技形式の勉強会は実力が露呈しやすいので、参加するには少し勇気が必要です。恥をかくかもしれないというリスクがあります。

主催者としてできるのは、勇気を称え合う空気をつくることです。

英語でもそうだと思っています。英語の先生から聞いたのですが、英語は日本人の前で話すことが一番むずかしいそうです。

その意味、わかる気がします。文法が間違っていたら指摘され、発音が悪くてもバカにされ、発音がよければ嫌味を言われ、いい想いをすることがないからです。日本人がいないところで英語を使わないといけません。そんなのは嫌です。

鍼灸師の間ではこの雰囲気が変わったらいいなぁと思っています。だから自分から率先してレッスンの様子を公開しました。どこかで誰かが「下手くそ」と思うでしょうが、気にしません。私のような者でも学べば進歩できることを示すことが重要だからです。



学んでいると状況に変化が訪れます。

私が経営する東京の鍼灸院(Acupuncture Tokyo-KAPOS)は海外からやってくる患者さんが増えています。英語圏だけではなく、スペイン語圏、中国語圏など幅広いです。

今は自分の院で精一杯ですが、これから周りの鍼灸師と連携しながら海外の人に届けられる仕組みと空気をつくっていきたいと思います。

「今、世界から日本の鍼灸に注目が集まっています!」

と、メディアが特集を組む日を夢見て今日も過ごしています。

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鍼灸師の呼吸
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要旨: はじめに 私が臨床でもっとも気をつけていることは息の仕方です。とても重視しているのにこれまで一度もこのことに触れてこなかったかもしれません。理由は単純です。私が呼吸の専門家ではないからです。呼吸法を専門的に学んだわけではありません。ただ、ずっと気をつけて...
鍼灸師の呼吸

はじめに


私が臨床でもっとも気をつけていることは息の仕方です。とても重視しているのにこれまで一度もこのことに触れてこなかったかもしれません。理由は単純です。私が呼吸の専門家ではないからです。呼吸法を専門的に学んだわけではありません。ただ、ずっと気をつけていただけです。

ですから、これが正しい呼吸法ですよ、とアドバイスできません。ちゃんとした呼吸法を学びたい人は、先生を見つけて学んでいただくとして、ここでは、なぜ気をつけているのかという理由と、どう気をつけているのかを紹介しようと思います。


呼吸を気をつけている理由


心理を読まれたくないから


息には心理が出ます。「呼吸を読む」という言葉があるくらいですから。格闘技や武術をやっている人なら当たり前すぎる話かもしれません。逆に言えば、そうでない場合は気にしていない人もいるかもしれません。

施術中は、ポーカーフェイスならぬポーカーブレスを心がけています。施術中、患者さんの背後に位置取ることもあります。そういうときは表情が隠れます。その代わり息づかいが目立ちます。見えなければ視覚以外の方法で相手の情報を読み取ろうとするからです。

「なぜ心理を隠す必要なんてあるの?」と思われるかもしれません。それがあるのです。やましいものを隠したいからではありません。施術をするとき、患者さんの期待に応えたいという気持ちが溢れてきます。その感情は、同時に期待に答えられなかったらどうしようという不安も生み出してしまうのです。

「どうでしょう?」

と施術後の変化を聞いたとき、

「ぜんぜん変わっていません」

と言われて何とも思わない鍼灸師はいません。「効果を出せなかったら申し訳ない」という気持ちになります。代金をいただきにくいと思う人もいます。逆に、効果が出ているとは思えないのに、「少し良くなった気がします」と言われたら、気を遣わせてしまって申し訳ないと心が揺れ動きます。

患者さんとのコミュニケーションが大事と言っても、こうした私たちの動揺は必要のない情報です。あとで詳しく書くつもりですが、どんなときでも呼吸は一定です。

②疲れないため


父は陸上で長距離をやっていたので、小学校のマラソン大会が近くなるとアドバイスをしてくれました。「スッスッ、ハッハッ」と呼吸を一定にするようにと。色々な呼吸スタイルがあると思うので、父の教えが正しかったかどうはさておき、呼吸を整えた方が疲れにくいことは初歩的な話です。

これは、鍼灸施術にも言えます。「マラソンみたいに心肺機能は使わないでしょ」って思われるかもしれません。確かにそうです。長距離選手のような負担がかかるわけではありません。でも、違った負担がかかります。すでに述べたように心の動きです。鍼灸施術は(真面目な鍼灸師であればあるほど)精神的な疲労が溜まりやすいのです。中には一日数人でヘトヘトになってしまう人もいます。

③精神を安定させるため


心の動揺は呼吸に表れます。逆も言えて、呼吸を乱さなければ心が安定し精神が疲労しなくなります。精神が疲労してしまうと、この仕事が嫌になってしまいます。

「疲れるくらいちゃんと真面目にやって」と思われそうですが、午前で疲れ切ってしまえば午後の患者さんは疲れた顔でお迎えしなければなりません。どの時間帯にやってくる患者さんにも同じ質の施術を提供できることが大切ですから、疲れないように施術をすることは患者さんのためです。

それに、毎回の施術で疲れ切ってしまったら技術を高めようという意欲が湧いてきませんし、そもそも鍼灸師を続けていけなくなります。


施術中の呼吸


呼吸を整える理由として、①心理を読まれたくないから、②疲れないため、と書きました。ここから、どのように気をつけているかという話です。冒頭に書いた通り、私は呼吸法をマスターした人間ではありませんから、個人的にこうしていますよという話なので参考程度の話です。あしからず。

①一定のリズムで呼吸をする


感情が動けば呼吸も変化します。患者さんの施術をしていて感情が動かないときはありません。触診で感じて、どういうことが起きているのかを常に考えて、患者さんの言葉に反応して、とやってれば感情も動きます。「良くなってほしい」と思うことも感情の一つです。

情報を激しく出入りさせながら、冷静で淡々としていることはむずかしいです。そこで呼吸です。呼吸というのは、自分である程度コントロールできます。だから呼吸法が成立するわけです。そのいっぽうで、何にも考えなくても呼吸は自動的に行われています。

呼吸は半分コントロールできるものです。その半分コントロールできるものは精神と深く関わっています。呼吸は「息」という漢字で表すこともできます。「息」という字は「自分の心」と書くところが本当に面白いです。このように考えると、呼吸は50%整えられるのだから、自分の精神も50%は整えられるだろうと思います。

50%というところが味噌です。100%は無理という割り切りも重要だと思うからです。それに、自由に遊ばせておく50%がないと機械のようです。最近のAIロボットに人間味で負けてしまいます。

呼吸を一定のリズムに保つようにしているということは、心の半分は一定に保ちたいからです。

もう少し説明しないと、この意義が伝わりにくいかもしれません。患者さんの前に出ると、よい施術をしようとテンションが上がってしまう人が多いのです。私にもそういう傾向があります。でも、その場でがんばったから結果が出るほどアマイものではありません。患者さんの前に出ていったときには、勝負は決まっています。できることは決まっているのです。

がんばるのは施術中ではなく準備です。施術中はがんばる意味がありません。がんばっているように見える駅伝も、本当にがんばっているのは日頃の練習です。心肺機能に負担がかかる競技であることと競技時間が長いことから、本番でがんばった選手が結果を出すのだと錯覚するだけで、実力は走る前にある程度決まっています。もし、本番だけいつもより頑張ってしまうと途中で失速します。

長距離がリズムやペースを大切にしているように、施術でも大切です。リズムとペースをコントロールすると疲れません。心の動きが穏やかになります。

②鼻で静かに呼吸をする


鼻で呼吸をするようにしています。口から息を吐くとため息のようになってしまうので、そうならないように気をつけています。吸うのも吐くのも呼吸音が患者さんに伝わりにくいように気をつけています。

特に、私の臨床スタイルは患者さんの背後から頚や背中を診ることが多いので、息がかかることも含めて気をつける必要があります。

③足の裏を意識する


実際に行動や判断をする際に現実的であること、または現実に即した考え方を持つことを「地に足をつける」と表現されます。地に足をつけることは臨床でもっとも大切なことだと考えています。

不思議なことに足の裏を感じるようにすると、呼吸が深く吸い込めるようになります。深く息を吸うことを意識すると、不自然な呼吸になってしまい、それこそ患者さんに気づかれてしまいます。

足の裏を意識すれば、呼吸を意識することなく深い呼吸になります。


呼吸が手をつくる


私たちの業界には「手をつくる」という言葉があります。あたりのよい手や触診に有利な鋭敏な感覚を指します。私たち鍼灸師は手を褒められると嬉しいものです。

手の使い方や、指先の感覚を訓練で磨くことは大事なのですが、見落としがちなのは呼吸が手に表れることです。手のひらの汗は精神性ですし、精神が安定していないと湿りすぎた手になってしまいます。

また、気持ちが緊張しすぎると手に震えが出るように精神と手には密接な関係があります。

ですからよい手をつくるためには、よい呼吸をするのがよいと思うのです。


呼吸が上手さをつくる


数をこなして経験を積んだら上手になるという考えは、半分正しくて半分間違いです。上手さの基準をもっていなければ、経験をいくら積んでも慣れるか飽きるかのどちらかです。その基準に業界標準はありませんから、各々が自分の指標をつくるしかありません。

私にとっては呼吸が指標の一つです。どんなときも呼吸を乱さずに施術できるか、ということを常に念頭においています。セミナー講師でデモ施術をするときも同じです。たくさんの同業者に囲まれていても、呼吸さえ乱れなければ平常運転です。

どうしても上手く見せようという欲が生じます。私も例外ではありません。100%の力を出そうとしてしまいます。だからあえて70%くらいの力が出せたらOKと考えるようにしています。30%の余裕がいろいろな気づきを与えてくれて、結果的に平均点が高くなります。

今回は、呼吸の重要性について触れてみました。私自身が「もっと早く気がついていたらよかったのに」と思うような内容です。重要なのに、あまり触れられることがない接する技術。これも非言語系のコミュニケーションです。

6月30日のセミナー(東京)、私が担当するのは非言語系コミュニケーションです。実践的に詳しくやります。イレギュラーな企画ですから興味がありましたらこの機会にどうぞ。残席は5名となりました。お急ぎください。

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