新入社員の岡本です。(写真右側)
前回(「活法ラボ(養気院)で実現したいこと(2) ―外国語+整動鍼で世界に関わりたい」)の続きです。
自分の看板で食っていくために独立した
個人では決してできないことがしたくて養気院にやってきたわたしですが、かつては独立してやっていることの方に価値を見出していました。
高校生くらいのころから、何かのプロになって独立して生きていきたいと思っていました。
まだ幼いアタマでは具体的にそれが何なのか、はっきり見えていませんでした。高校を卒業し、外国語大学に入ってからは、「中国語のプロになる」という目標がおぼろげながらも見えてきました。通訳や翻訳、講師業といった営みです。短絡的ではありますが、そのために努力し、大学を卒業してすぐに中国語を使って仕事をするようになりました。
医療、鍼灸というものに興味をもってからは、鍼灸院を開業し、独立することが目標になりました。かつて師事していた先生に学生時代から臨床に出してもらって経験を積んでいたこともあり、卒業後半年で開業しました。当初の目標は比較的早くに実現しました。紆余曲折ありましたが、なんとかご飯が食べられてきました。
自分の独立志向の強さには、父親の影響が強くあったように思います。
わたしの父は会社員ですが、会社員としてはあまり恵まれた境遇にはなく、わたしはしょっちゅう「勤め人なんて見合わない」とか「サラリーマンにはなるな」などと言われてきました。ボーナスが出なかったり、家のローンで苦労したりといった姿を間近で見てきました。
そういった経緯もあって、「他人に左右されることなく、自分の実力だけで生きていけるようになりたい」と思うようになり、実際にそうして生きてきました。
独立志向が雲散霧消してしまった出会い
「だったら、お前はどうして今、養気院で勤め人をしているのだ?」という疑問をお持ちになるかもしれません。
栗原誠という人間と、その手から生み出された技術を見て、即座にそれが途轍もないものであることを悟りました。わたしが従来もっていた鍼灸に対する理解が、とても小さなものであることに気付かされました。江戸時代の人が、いきなり宇宙船に乗せられたような気分でした。
ことわっておきたいのですが、ここで自分がかつて学んでいた鍼灸の方法論やかつての師、仲間を否定したいのではありません。他の流派について何か批判をしたいわけでもありません。ただ、自分の怠慢で「こんなものかな」と、小さく見積もっていた、鍼灸の広さ、大きさを見せつけられてしまったのです。
そのような鍼灸の可能性の果てしなさを見せつけられると、「独立してご飯が食べられる」という目標は、それほど重要なものとは思えなくなってきました。
そして、活法ラボへの入社という道が開かれ、果てしない可能性を自ら開拓する機会が目の前にやってきました。もちろん、これまでに築いてきたものが後ろ髪を引きますが、それでも、船に飛び乗る選択をするのに、そう長くはかかりませんでした。
補佐役という生き方
「独立志向」の強さは、わたしの我の強さとも関係がありました。「俺が主役になりたい」「俺の名前を世に売りたい」という願望です。
そのこと自体は悪いものではありません。そういった意欲が人を前に進めてくれます。
しかし、今、わたしは栗原という才能が存分に実力を発揮し、自由に動けるよう支えたいと思っています。
治療院の留守を務め、セミナーで師範代を務めることができ、経営の相談役となり、そして専属の通訳者となる。
比べる相手が偉大すぎますが、本田宗一郎にとっての藤沢武夫、松下幸之助にとっての高橋荒太郎、豊臣秀吉にとっての豊臣秀長、東郷平八郎にとっての秋山真之、毛沢東にとっての周恩来、ホームズにとってのワトソン、劉備玄徳にとっての諸葛孔明、ラインハルト・フォン・ローエングラムにとってのジークフリード・キルヒアイス、志々雄真にとっての佐渡島方治……
(わたしの趣味が入り込んでおりますので、わからないものは無視してください)
「そういう生き方も悪くないよな」などと思うようになっていることに気づきました。
上に挙げたような人たちは、補佐役であるにもかかわらず有名すぎますけどね。実際には、補佐役というのは表舞台には出ない、陰の存在です。
ともに変化していく関係を
こんな風に「入れ込んだ」文章を書いているのは、自分がまだ入社直後で、モチベーションが高い状態にある、という要因もあるでしょう。付き合いはじめたばかりのカップルのようなものです。
水を差すようですが、今の気持ちが永続するとは、まったく思っていません。目標も時の流れに応じて変わってくるでしょう。わたしが栗原のビジョンに自分の将来を重ね合わせることができなくなることもあるでしょう。
ですから、ずっと今と同じ気持ちを持ち続けていくことは、はじめからあきらめています。
できることは、今この瞬間、栗原を理解し、技術を磨き、未来へのビジョンを共有し、ともに変わっていくことしかありません。
ともに変わっていった結果、どこかのタイミングで自分が離れることもあるでしょうし、栗原がわたしを必要としなくなることもあるでしょう。
今、活法ラボに起こっている大きな変化を内側から眺めていると、未来に何が待っているか、いえ、1年後、半年後のことすら、どうなっているかはわかりません。
これだけ書いておいて、「将来はどうなるかわからない」というのが結論になってしまいましたが、今と変わらない気持ちを持ち続けることを誓うよりも、変化を受け入れる覚悟をしておくほうが現実的ですし、お互いにとってプラスになるでしょう。
独立=自由ではない
ひとつ、自分のなかで変化したことがあります。独立開業が比較的容易な鍼灸師という仕事であっても、独立が至上の価値ではないことに気づき、独立にこだわらない生き方を選択できるようになれました。独立してもいいし、誰かと一緒に働いてもいい。
そう実感できたことで、ひとつ自由になれた気がしています。わたしの人生の目標は「自由であること」それだけです。
「独立か、勤務か」というテーマについはまた稿を改めて書いてみるつもりです。
次回は、この会社で具体的にどういったことに取り組んでいきたいかを紹介していきます。
第4回につづく