みんなの人生を想いながら生きる
小堀さんからバトンを受け取りました。
お題は「人生のターニングポイント」です。
転機、変わり目、分岐点。
自分の人生は、とてもカラフルです。小ネタはもちろん、大ネタも掴んでいます。
明日、死ぬのは嫌ですが、それでも受け入れられるくらい好きなこと、やりたいことをやって来れました。
シアワセです、本当に。
わたしの人生には多くの人が関わっています。そのみんなにそれぞれの人生があります。世界中の人に動物に人生があります。
わたしはみんなの人生を、少しだけど想いながら生きるように心掛けています。
もともと一つ裏の世界に興味があるほうでした。見たい、知りたい気持ちが強いのです。
わたしには、それを絶対的にした体験があります。
タシとの出会い
ネパールに行っていた時のこと。町を歩いていると、チベット人がたくさんいました。
当時のわたしは本当に知識が乏しく、どうしてネパールにチベット人がこんなにたくさんいるのかしら?と思うくらいでした。
わたしはチベット人が多く住む地域に滞在し、鍼灸治療をするためにネパールに入っていました。時々老人ホームに出掛けて行き、そこで生活しているチベット人のお年寄りに鍼灸治療をさせて頂いていました。
そこにはタシ、という若い女性が職員として働いていて、日々お年寄りのチベット人のお世話を一生懸命していました。タシはわたしに、とても優しく親切に接してくれました。
いつもはお年寄りに治療をするのですが、ある日タシがわたしに腰が痛いので治療をして欲しい、と伝えて来ました。
腰の治療のためにズボンの裾を膝まで上げてもらいました。すると、タシの足首から下が無いのです。一応、わたしは医療従事者ですのでそれなりの態度で対応はできるのですが、治療のためにもどうしたのか聞いてみました。
するとタシは「亡命するためにヒマラヤを越えてきた時に、凍傷になってしまって切断したんだ」と。「でも、わたしはまだ症状が軽くて、一緒に亡命してきた友達は太ももから切断したから、わたしはラッキーなほうよ」と、普通に説明してくれました。
普通に生活できるのは普通じゃない
タシは生きるために、あのヒマラヤを越えて来たのです。まだ、子供のころにです。生きるためにヒンディー語と英語、そして新たにネパール語まで話せるように努力したのです。わたしも決してチャラチャラ生きてきた訳ではないけれど、自分が生きている間にとんでもないことが起きている。
それを自分は知らない。すごく自分が情けない存在に感じました。
わたしはそれから、チベットのことを猛烈に調べました。
タシの足をこの目で見なければ、わたしは一つ裏の世界をただ見た知っただけで終わってしまっていたでしょう。
もう一歩踏み込んで、誰かの人生を想いながら、人生を過ごすことはなかったはずです。
もちろん、危険な目を犯してまでは行動しませんが、できる範囲で見たい知りたい気持ちになるのです。
時には、「知る」ということが誰かの人生の手助けになります。
タシに、感謝しています。
自分の人生も大切に、そしていろいろな世界を知り、誰かの人生も想いながら残りの人生も過ごして行きたいです。