みなさん、こんにちは!
鍼灸師・イン・グンマの岡本です。
日帰りで関西に帰っておりました。いくつか用事があったのですが、この機会を利用して、大阪で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク― 対話のある家」という催しに参加してきました。
これは、光を遮断した空間の中にグループで入り、「暗闇のエキスパート」である視覚障害者に導かれながら、いろいろな体験をするという趣旨のものです。以前は東京でも定期的に開催されていたのですが、いまは常設は大阪のみになっています。
普段、わたしたちが暗いところに入ると、次第に暗闇に順応することで、わずかな明かりでも徐々に見えてくるようになりますが、ダイアログ・イン・ザ・ダークで入るのは、完全に光の差さない空間です。
どれだけ時間が経っても、どれだけ目を凝らしたとしても、何も見えません。目を閉じても目を開けても、まったく同じ、暗闇が広がっているだけなのです。いえ、「広がっている」ことすら、視覚ではわかりません。どれだけ近づけても、自分の指先すら見えないのですから。
ずっとこんな感じです
わたしは指を使う鍼灸師なので、ふだんから人間の感覚というものに深い関心をもっています。施術の際には、触覚を頼りにツボを探す必要があります。触り方や意識の持ちようで、感覚というものがどんどん変化してくるということを、身をもって知っていました。また、訓練を重ねることで、感覚はどんどん鋭くなってくることを実感しています。
視覚に頼らない生活というものがどういうものか、知りたくて、「一日目を閉じて生活してみようか」と考えたこともあります。(他の人に迷惑がかかってしまうので、やっていません。家の中でやってみてもいいかも)
いつだったか忘れてしまいましたが、とある機会に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というものがあることを知り、ずっと参加してみたいと思っていたのです。
受付を済ませ、荷物をすべて預けてその時を待ちます。一度に入室できるのは最大6人、70分間の体験です。
「暗闇に入る」とはいっても、お化け屋敷ではないので、脅かされたり、怖い思いをさせられるわけではありません。視覚障害者が使う「白杖(はくじょう)」という杖をお借りして、アテンドの方に導かれつつ、互いに声をかけあいながら、そろそろと歩いていきます。
ここでのテーマは、「家」です。積水ハウスの展示場の一角で開催されているからなのでしょう。「真っ暗闇の中に普通の家がある」というつくりなのです。
外から家に入り、廊下を通って居間に進むだけなのですが、これが難しい。足元を探るための白杖は外で使うものなので、家には持ち込みません。玄関に腰掛けて靴を脱ぎ、手探り足探り、声をかけあいながら、壁伝いにそろそろと奥に進みます。居間に通されても、それがどのくらいの広さなのか、何が置いてあるのか、まったくわかりません。皆でちゃぶ台を囲んで座ってお茶を飲み、お菓子を食べて談笑しながらくつろぐ、というだけのことが、大冒険のように思えます。
アテンドの方に誘導されながら、家の中をみんなで探検しました。なにせ、相手の姿がまったく見えないので、互いに声をかけあい、触れ合うことでしか存在を確認できません。
目で見えるときよりも、暗闇に置かれたときのほうが活発にコミュニケーションがとられ、お互いのことを親しく感じられました。姿形という視覚的な境界線が消滅してしまったためでしょうか。
しばらく談笑した後、暗闇の家を出ます。薄明かりが灯って、皆の姿が浮かび上がってきます。あれほど活発に声をかけあっていたのに、少しずつ皆の口数が減ってしまったことが印象に残りました。わたしたちは「見える」ということで情報をたくさん得ていると同時に、強力なバリアを発生させているということにも気づきました。
この「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、大阪では梅田のグランフロント大阪で体験することができます。時期によってテーマが変わっていくので、わたしもまた参加するつもりです。
お近くに行く機会のある方は、ぜひ体験してみてください。
このほか、聴覚を遮断してコミュニーケーションをはかる「ダイアログ・イン・サイレンス」が不定期で開催されており、企業向けの研修プログラムも用意されているようです。
「活法ラボでもぜひやってみたい!」と栗原院長に猛プッシュしておきました。
http://www.dialoginthedark.com/
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本も大変興味深く読みました。一読をおすすめします。