『PIXAR―世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』を読んで

先日、夜中にTwitterを眺めていたら、面白そうな本が出てきたので、こんな風につぶやいてみました。

 


すると、その翌日……

 


どっかの親切な社長がすぐさま購入してくれたのでした。

やれ嬉しやとばかりに貪り読みましたので、この場で紹介しようと思います。

『PIXAR 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』というタイトルの本です。

いまや押しも押されもせぬ世界ナンバーワンアニメスタジオであるピクサー。わたしもその作品は大好きで、大部分の作品は劇場で見ています。

ちなみに一番のお気に入りは『インサイド・ヘッド』で、普段映画を見ても涙を流すことのない鋼の涙腺を持つこの自分が思わず落涙してしまった一本です。

頭の中にある「感情」を擬人化してドラマを演じさせる、という設定にやられました。「自分の頭のなかに小さい人が住んでいる」というのは、きっと誰でもちょっとは考えたことがあるのではないかと思いますが、お話の運び方、伏線、舞台装置など、何もかもがとことんまで考えつくされている見事な作品でした。

今年は『トイ・ストーリー4』の公開が予定されていますが、もちろん観に行くつもりです。

 

本書は、このピクサーが資金難で苦心していたときにスティーブ・ジョブズに請われて経営陣の一人として入社し、見事ピクサーの上場を果たした、ローレンス・レビー氏による回顧録です。

わたしがこの本に興味を持ったのは、やはり自分が中途入社で活法ラボに入った立場であることと関係があります。活法ラボは別に資金難ではない(はず)ですが。

著者の目から見たスティーブ・ジョブズの言動も数多く紹介されています。そこでは、独善的、激情家で気難しい、といったイメージのジョブズの姿はありません。経営の専門家であり、親友として付き合っている筆者の声に真摯に耳を傾ける(ことが多い)姿が描かれています。

大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。

同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。

スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。

ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブから言われている。

これは著者が妻に語ったセリフです。

「ふと気づいたんだけどね? この2カ月、スティーブといろいろな話をしたけど、彼が反発したり言い訳に走ったりしたこと、ないんだよね。

あれもだめ、これもだめと僕はピクサーの事業をこき下ろしたわけで、その一つひとつに彼から反論があってしかるべきなんだ。

でも、彼はそうしなかった。一度も、だ。まるで、僕と一緒に学び、ふたりで前に進んでいるように感じるよ」

このような強固な信頼関係のもと、筆者はピクサーを一人前の会社に育て上げるべく、奮闘するわけです。

他の会社ではなく、ピクサーだけが”ピクサー”になれた理由を、筆者はこう語っています。

理由はひとつしかない。文化だ。私はそう思う。

文化は目に見えないが、それなしにイノベーションは生まれない。

新しいものを生み出す元は、普通、状況や環境ではなく個人だと考える。そして、その人をヒーローとしてあがめ、そのストーリーを語る。

だが、その実、イノベーションは集団の成果である。天才がいなければ生まれないかもしれないが、同様に、環境が整っていなければ生まれない。

活気も大事だ。だから、なんとしても、ピクサーの文化と活気を守らなければならない。

ディズニーに買収された現在も、ピクサーがピクサーとして存在しているのは、筆者のようなピクサーの文化を愛し、守ろうとした人のおかげなのです。

著者はこのようにも書いています。

エンターテインメント会社としてピクサーが身を立てるには、イノベーションを抑えるハリウッド流に染まらないようにしなければならないということだ。

アットホームな文化を捨て、管理と名声の文化に染まれば、いま、ピクサーを支えているはつらつとした活力が失われてしまう。

ポイントリッチモンドなんてへき地に会社を置いてどうするんだと不満に思っていたが、それは大間違いだったのかもしれない。逆にいい選択で、独自の道を歩きやすいのかもしれない。

この一節を読みながら、わたしは、車でしか行けないような郊外に治療院を構えている会社のことを考えていました。

すごい製品の誕生は意外なほど時間がかかるものだとスティーブから聞いたことがある。

どこからともなく登場するように見えるが、その裏には、開発、試験、やり直しなどの長期にわたる繰り返しが隠れているのだ、と。

そのいい例がピクサーだ。『トイ・ストーリー』の誕生に向けた動きは、16年前、ルーカスフィルムのコンピューターグラフィック部門であったころまでさかのぼることができる。

もうひとつ

スティーブは、スライドのあらゆる点にこだわった。文字間隔を調整するカーニングや文字をなめらかに描くスムージングなど、私には違いがわからないほどの細部にいたるまで、だ。

この一節を読みながら、わたしは、ミリ単位でツボの位置を定める、とある鍼の技術のことを考えていました。

ピクサーの映画は、いずれも、クリエイティブ面でぞっとするような危機を何度も乗り越えて完成にいたっている。

クリエイティブなエクセレンスというのは、失敗という名の崖っぷちで踊るようなもの、安全という名の誘惑にあらがう戦いのようなものだ。

勝利にいたる近道などない。公式もない。確立された道筋などない。ぎりぎりの判断がくり返し求められるのだ。

この一節を読みながら、わたしはこれから自分がしなければならないことを考えていました。

 

これまでに、「わたしが活法ラボ(養気院)で実現したいこと」と題して、5本の記事を書いてきました。ネットでこの本のことを知ったときに、何かインスピレーションが働いた自分の勘は、間違っていませんでした。いま、このタイミングで出会うべき本でした。

活法ラボは小さな会社です。メンバーも両手で数えて余るほどの人数しかいません。(それでも、鍼灸治療院としては多い方です)

ですから、メンバーの一人ひとりがどう在るか、ということが、会社の雰囲気に直結しますし、一人ひとりの考え方、振る舞いが会社の文化になります。

では、どんな文化を作りたいか? わたしは、このピクサーの在り方というものが大きなヒントになると感じました。ここで書きつくすことはできませんが、わたしはこの場を、

 

楽しみながら学び、技術を向上させることができる場

 

にしたいと考えています。

 

幸いにして、栗原院長はじめ、在籍している/していたメンバーのおかげで、種がまかれ、土壌が作られてきました。そこにどんな木を、花を、作物を植えようか、と考えたときに導き出されたのはこれまでに書いてきたような夢の数々でした。

「ひたすら辛い思いに耐えて一人前になるまで修行する」

のではなく、どうすれば楽しくなるのか、もっと自由になれるのか、ということに頭を使って、良き場所を作っていきたいです。

活法ラボはピクサーになれる、本気でそう信じています。

 

本書はビジネス書というよりも、まるでピクサー映画そのものの冒険の物語でした。