院長不在の第3次養気院大改装

こんにちは。養気院最高責任者(代理)の岡本です。

養気院にやってきて、ちょうど1年が経ちました。「またたく間だったな」という感想です。それと同時に、もう何年もここで働いているような気もします。過ぎ去った年月が短くも長くも感じられるのは、自分も年齢を重ねてきたからでしょうか?

少なくとも、子供の頃や二十歳前後の頃のように、まっすぐと過去から現在に向かう時間の流れを意識しにくくなっているような気がします。

そんな感傷はひとまずおいておいて、今日は養気院の建物の話です。

養気院、それは群馬のサグラダ・ファミリア

(撮影・栗原誠 2020年2月)

養気院といえば、「群馬のサグラダ・ファミリア」という異名を轟かせているわけですが(主に岡本の中で)、いまだ完成形ではないというそのサグラダ的な部分をいかんなく発揮する時期がやってきました。

そう、改装です。

2003年に開院した養気院は、現在までに2度の改装を経ています。

院長のブログを引いてきましょう。

まずはこちら。

鍼灸院開業の裏話vol.1「ヨーロピアンブロック造との出会い」

1度目の改装は、2006年2月(3年目の大改装

2度目は、2016年8月(アトリエをつくる

そして2020年、わたしは3度目の改装に立ち会うこととなりました。

ちなみに、今回の改装についても院長のブログでレポートされています。

わたしはスタッフの視点から改装の様子をお届けするつもりですので、並行してお楽しみいただければと思います。

毎日見ていると当たり前になってしまいますが、この畑ばかりの土地にこんな建物を作ってしまうこと自体「ちょっとオカシイのではないか」と思ってしまいます(褒め言葉)。

おイモやネギが植えらている畑が広がる土地。上州名物空っ風が吹けば土が巻き上げられ、容赦なく吹きつけるこの場所にそびえ立つヨーロピアンブロック建築。「異形」といってもよいと思います。たまたま通りがかった人は、きっと「何だこれは」と思っていることでしょう(しつこいですが、褒め言葉ね)。

夕暮れどき、養気院の駐車場からの風景。オレンジと青のグラデーションの中に稜線を描く浅間山。わたしの好きな風景です。

まったく違う、院長とわたしの鍼灸師としての在り方

わたしは、できるだけコンパクトに生きたいなと思っています。いわゆる「ミニマリスト」でもありませんが、あまり持ち物は増やしたくないし、シンプルに暮らせるならそれに越したことはない。だからこそ、鍼と灸というシンプル(すぎる)道具で人の役に立てる鍼灸師という仕事に魅力を感じました。

自分が神戸で治療院をしていたとき、店舗用のテナントを借りることすらせずに、大家さんの許可をもらって普通のマンションの一室でこじんまりとやっておりました。治療院を建てるなんて想像のはるか外のことです。

養気院は、そんなわたしの過去の価値観とは、いわば対極にある存在です。

わたしは、栗原院長のビジョン、生き方に共感する者であります。栗原院長の人となりや、整動鍼(栗原院長が創案した治療体系)の理論的バックボーンや技術的な特徴に魅せられたからこそ、この場所にいるわけですが、上に書いたように鍼灸師としてどう生きたいかという在り方はまったく異なっています。

まあ、同じだったら自分もどこか別の田舎に治療院を建ててしまうわけで、在り方が異なっていなければ院長もわたしもお互いを必要としなかったでしょう。お互いを補いあうためにも、異なっていなければならないのです。

(2019年4月 DVD教材の撮影中)

だから、わたしは栗原院長の最大の理解者であろうとし、彼の抱くビジョンや夢を実現させるために全力で支える覚悟は持っていますが、ときどき「ほんと何考えてるんだろう、この人は……」と思っています。(も、もちろん、(主に)良い意味で)。

そういった意味で、トップに立って道を切り拓く人は、その背に原理的な孤独を負っています。

 

院長不在の大改装

3度目の改装が、これまでとまったく異なる点があります。

それは、工事中ほとんどの期間、栗原院長はバルセロナに行っていて、養気院にはいないということです。もちろん設計は事前にしっかりと詰めてあり、ずっと養気院での施工を担当していくれている大ベテランの建築士さんがいます。

出発直前、建築士さんたちと打ち合わせをする栗原院長

 

わたしが板を切ったり釘を打つわけではなく(当たり前)、腕利きの職人さんチームがやってくれるので大丈夫なのですが、それでも現場では何があるかわかりません。

「ここの色どうしますか?」なんて突然たずねられて「じゃ、じゃあ、キティちゃんの模様で!」なんてうっかり注文してしまう可能性もゼロではありません。

果たして無事に完成した新生養気院で栗原院長を迎えることができるのか。留守役のわたしもいくばくかの緊張を胸に、2人を見送ったのでした。(つづく)