新入社員の山崎です。
副院長考案のリレーブログも、院長→小堀さん→田島さんと回って僕の番になりました。
テーマは「先生」です。
先生というと医療関係者や教員、政治家など学識のある人に対する敬称で、世の中にはいろいろな先生で溢れています。
今回は、僕が四半世紀生きてきて、一番印象に残っている一人の教員について書こうと思います。
「めんどくせえな」が口癖の高校教師
今まで様々な先生に出会いました。文字の綺麗さに厳しい先生や、ハゲを売りにしている先生など個性豊かな先生ばかりでした。
そんな先生方の記憶が薄れるほど強烈な先生に出会ったのは、高校でのことでした。
K先生は、特徴的なM字の生え際に、いつも不満そうな態度で攻撃的な口調ということもあって、第一印象は最悪でした。
*似顔絵
授業はいつも「ういー」という気怠そうな挨拶から始まります。
笑うこともなければ自分から生徒に話しかける素振りもなく、「めんどくせえな」が口癖の先生は、僕が出会ってきた教員の中では群を抜いて異質でした。
K先生は教員や保護者の間では不評でした。「教員の態度じゃない」という声もあって、K先生が担任を任されたのは一度きりです。
そんな声には目もくれず、授業はいつものように「ういー」という挨拶から始まり、安定の攻撃的な口調で進行していきます。
ある日、放課後にK先生と話をしたとき、僕は「そんなに無愛想だと余計な敵を作って大変じゃないのか」と質問をしました。
すると先生は「余計な敵のほとんどは、自分のことを表面的にしか知らないやつだから」と一言。その後、お前と話す時間は無いと言わんばかりにそそくさと職員室に行きました。
一分にも満たないやりとりでした。
生徒にしか分からないK先生の良さ
あの一分にも満たないやりとりを境に、K先生からよくちょっかいを出されるようになりました。
当時僕は野球部に所属していました。小・中学と柔道をやってきた僕にとっては、体の使い方が全く異なる競技でとても苦労しました。
辞めてしまいたいと何度も思いましたし、「なぜ当たり前のことができないのか」という、野球経験豊富な部員たちの目に孤独感すら感じました。
そんな絶望的なオーラを察してか、K先生は放課後すれ違うたびに、無言かつ全力で僕の腰をバシッと叩いてきました。
叩いた後の、ニヤリとした不穏な笑みに重く暗い気分がかき消される感覚は今でも覚えています。
また、専門学校の受験を控えた頃、K先生から「人は他人の評価より自己評価に影響されるから。」という言葉をもらいました。
不評を受けると「自分はダメだ」や「できない」声を漏らしたくなりますが、誰よりも近くで一番最初にその言葉を聞いているのは自分自身です。
なにか自己暗示のようなものに思えますが、そういったネガティブ発言が減ったことで怖じけずにいろんなことにチャレンジできるようになりました。
高校3年間でK先生なりの優しさや気遣いに触れました。はじめは最悪な印象も、今となっては威厳のように感じています。
他の教員とは違い、生徒に媚を売らず、攻撃的な口調も、なにか口下手な職人のようだと思うようになっていました。
教員や保護者からは不評にもかかわらず、生徒からは好評でK先生が「一番話しやすい」という声が多くあったのも、K先生の不器用な優しさは生徒にしか分からないものだからだと思いました。
評価は表面的なものをジャッジしている
先生と3年を過ごして、評価のほとんどは表面的なものだということを教わりました。
先生が僕にとってはいい人でも、本当は悪い人かもしれません。教員らしからぬ態度は、もしかしたら裏にそうせざるを得ない理由があるかも知れません。
いちいちそんなことを考えていたら評価できませんが、評価は、表面的なものをジャッジしているということ頭の片隅にいつも置いています。
僕も「あいつには勉強教えるのに自分には教えてくれない」という声や、「生徒のくせに教員に反論する」といった声をあげる人たちと出会ってきました。
もしK先生との3年間がなければ「うるせえやい」と感情的にぶつかったり、落ち込んだりすることがあったかもしれません。
しかし、おかげで表面的には人を選んで贔屓したり、上下関係を守らないような人に見えていたのかと気付かされましたし、多少の敵には右往左往しなくなりました。
今の僕を構成しているもののほとんどが、高校3年間にあると思います。
K先生由来の、評価を気にせずとりあえずやる、なんとかなるという精神を胸に、これからもいろんなことにチャレンジしていきます。