鍼灸師、先輩風を吹かせる――狭くて広い鍼灸業界を縦横無尽に泳いでいけ

たまに登場する岡本です。

わたしは養気院に入る前、というか、鍼灸師になる前から中国語を教える仕事をしています。実は今もオンラインで細々とやっているのですが、先日、受講生の一人からある相談を受けました。

なんでも、その方のお嬢さん(ここでは「Kさん」と呼びましょう)が鍼灸師になることを考えているそうで、相談に乗ってほしいという話でした。というわけで、ある晩にKさんを交えてオンラインで進路相談を受けることになったのです。高校の担任の先生になったみたいで新鮮です。(Kさんはもう社会人なのですが)

その「三者面談」では、わたし自身がなぜ鍼灸師になったのか、などの質問を受けたり、学費のことや、学校選びのポイントなどを尋ねられ、わたしの知る限りでお答えしたのです。

このほかに、「授業以外で外部の勉強会に参加した方がよいのか?」という質問も受けました。

わたしは「学校以外での勉強会には必ず参加した方がいいです」と答えました。

鍼灸業界は狭くて広い

日本では鍼灸はマイナーな存在で、医療の中ではかなり端っこの方に追いやられています。そこら中にあるわりには受療率は低く、1年間で鍼灸治療を受けたことのある成人の割合は、5〜7%だそうです(森ノ宮医療大学 鍼灸情報センターより)。普通の病院だったらほとんどの人が1年間に1回は受診していると思います。通常の医療からこぼれ落ちてしまった患者さんを救うことで存続している業界であるといえるでしょう。

しかし、そんな小さな業界でも「鍼灸」とひとくくりにできないほどに多くの方法論、思想があります。

たとえば、お隣の中国では「鍼灸」といえば中医学(=中国伝統医学)のみで、鍼灸=中医の一分野であることが前提となっています。中国人に「自分は鍼灸師です」と言うと、「ああ、あなたは中医学をやっているんだね」と言われます。

これに対して、日本では中医学はもちろん、西洋医学に基づくものや日本の古典に基づくもの、その他もろもろ、小さな無数の「流派」や「研究会」が並び立っており、よく言えば百花繚乱、悪くいえば玉石混交の様相を呈しています。なんだか中国の「一党独裁」と、日本の「小党分立」のように、両国の政治体制を反映しているような気さえします。

「小党分立」にはメリットもデメリットもありますし、とにもかくにもそうなってしまっているという現実から出発しなければなりません。今は休刊してしまいましたが、鍼灸の専門誌である『月刊 医道の日本』で、「ツボの選び方」という特集が組まれたことがあります(2020年1月号、2月号、6月号)。

そこで紹介された研究会、その数なんと45。

 

(ちなみに、養気院の栗原院長が代表を務め、わたしたちが事務局を担っている「整動協会」もその中のひとつに選ばれました)

実際に目を通してみると、聞いたことのない研究会がほとんどでした。ほとんどの鍼灸師は、研究会を5〜10くらいしか知らないのではないでしょうか。雑誌で紹介されただけで45あるわけですから、実際には世の中には45を超える数の研究会があります。

少なくともこれだけの数の研究会があるわけですから、まだ鍼灸について知識を持たずに入学した人が、学校のカリキュラムだけで自分に合った技術が学べる可能性は低いと考える方が自然でしょう。やはり積極的に外に出て、どんなものがあるのかを探してみるべきです。関東に住んでいるのなら、なおのこと選択肢は広がることでしょう。

学生時代というボーナスステージ

Kさんに外の勉強会に行くことを進めたのには他の理由もあります。

学生時代というのは一種のボーナスステージです。

勉強会に行ったら、鍼灸師たちは優しく接してくれるでしょう。チヤホヤしてくれるでしょう。

なぜなら、すでにいろいろなものが頭の中に入り込んでしまっている現役の鍼灸師たちは、まっさらなオーラを放つ鍼灸学生の中に、自分がすでに失ってしまった輝きを見出すからです。そして、苦労して習得した自分の技術を見せびらかしたいのです。中学や高校の部活動の新入生勧誘のような感じです。

人生には3回だけ、無条件でチヤホヤしてもらえるタイミングがあります。

1回目は、この世に生まれたとき。

2回目は、中学で部活動の勧誘を受けるとき。

そして3回目は、高校で部活動の勧誘を受けるとき、です。(異論は認めない)

鍼灸学生として外部の勉強会に行くと、人生で4回目のチヤホヤタイムを味わうことができるのです。行かない手はありません。ぜひ行きましょう。

鍼灸師の免許を取得し、実際になんらかの流派なり研究会に所属してしまい、研鑽を積んで「出来上がって」しまうと、すでに頭のなかにある考えが足を引っ張ります。どうしても他の考え方を受け入れづらくなったり、わざわざ他のところへ行くのが億劫になってしまいます。今持っている技術への愛着から、「これが一番だ」と思いたくなる感情も生まれます。

周りの目も変わることがあります。どこかに行って「○○に所属しています」と自己紹介すると、他の鍼灸師からも(ああ、○○か、きっと△△なんだろうな……)という先入観を持たれやすくなります。

寂しいことかもしれませんが、これは、仕方のないことなのです。成長するということは、自分の頭の中のキャンバスに色をつけていくことだからです。

もう少し、色々見ておけばよかったな

と、ここまでこんなことを書いている自分について告白しますと、わたしは自分が入った学校で比較的しっくりくる技術を学ぶことができたので、実はあまり外の勉強会に行かなかったのです。

今はもう学生時代に習った技術は手放してしまったのですが、学校にいるうちに「食える」鍼灸師に育てていただいたのは本当に幸運でした。

そして時は流れ、巡り巡って、栗原院長に出会い、いまこうして養気院にいます。

今いる場所には満足していますが、でも、「もっとたくさん見ておいてもよかったな」と、少し後悔しています。

もちろん、今からでもいくらでも他のことは勉強はできるのですが、怠惰なわたしは「まあ、色々あるから……」と、後回しにしてしまうのです。

今ならば、オンラインで参加できるものもたくさんあるのにね……

 

自分のことを棚に上げまくりつつも、「鍼灸師になりたい」と相談されたのが嬉しかったので、ちょっと先輩風を吹かせてみたくて、考えたことを記事にしてみました。

これを読んでいる鍼灸師さんはどうでしょうか?

今の技術に行き着くまでに、どのような経緯があったのかを聞いてみたいものです。