上手こそものの好きなれ

岡本です。

「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。

わたしの場合これは逆で、「上手こそものの好きなれ」でやってきました。

鍼の技術にしても、学生時代から勉強している中国語にしても、そうでした。

好きになれたのは、学びはじめてからけっこうな時間が経ってからでした。

中国語を例にしてお話しましょう。大学1年生のときから始めたわけですが、受験勉強から解放されたわたしは浮かれていて、とりあえず授業には出るけれども、「ほどほど」という程度にしか勉強していませんでした。

中国語は初級のうちは文法がそれほど複雑ではありません。動詞の活用などもないので、覚えることもそう多くはないのです。外国語で初級のうちにやることなんてたかが知れています。「わたしは日本人です」とか「あなたは留学生ですか」程度のものですから、テストをやり過ごすことはそう難しくはありません。

成績は悪くはないけど「ほどほど」だった自分が変わったのは、ものすごく発音の上手い先輩に教わりはじめてからでした。その先輩の中国語を聞いて、自分がやってきたことがすべて間違っていたことに気づくことができたのです。

1対1で時間を取ってもらい、食堂や空いている教室で、来る日も来る日も練習を繰り返しました。

そうしていくうちに、ひとつの音を出すために、どれだけの練習をする必要があるのか、「わたしは日本人です」程度の文を読むのにどれだけ工夫をする余地があるのかがわかってきました。

「自分はできている」「上達している」という実感ができて、はじめて「自分は中国語が好きなんだな」と思うようになり、今に至るまでずっと勉強を続けています。

鍼灸院のブログなので、話を鍼に戻します。

わたしは整動鍼(栗原院長が創った、養気院で行われている鍼の技術体系)を学びはじめてまだそれほど年月が経っていません。

もちろん、興味があるからこそ学びはじめたのですし、その効果の高さを知り、素晴らしいものだと確信しているからこそこの場所にいるわけですが、本気で「好き」と言えるようになるまでには、まだ時間がかかるでしょう。そういう熟成期間が必要なタイプのようです。(「努力が足りん」ともいえることは認めます)

喜々として練習できる人のことは本当にすごいと思っていて、自分はちょっと落ち込みやすい気質を持つところがあって「なんでこんなにできないんだろう」と自分を責める気持ちになることが多い。

昔はそういう感情に振り回されることが多かったものの、いろいろな経験を経て、そういった感情を突き放して見ることもできるようになっていて、「はいはい、いいから練習しましょうね」と自分を動かすこともできるようになっています。これは、歳をとってよかったなと思うことのひとつ。

ひとまずは、「好きになりたいからこそ、本質のところを知らないまま軽々しく『好き』と口にしたくないのだ」と、ポジティブに理解しておきましょう。

あと、経験的には簡単に「好き」と断言できないもののほうが長く続けられてきた気がします。

と、ここまで書いて、小堀くんの好きな言葉が「好きこそものの上手なれ」だったということを思い出してしまいました。別に挑発しているわけではないので、許してね。